何度見ても素晴らしい大覚寺の勅使門である。
1848年から1854年にかけて再建されたものである。
勅使門というと天皇やその使いが牛車に乗って静々と入ってくるシーンを想像していたが、後ろ髪を引かれるように退出されることもあるそうな。
大覚寺によると、
"世は尊王攘夷が叫ばれる混迷の時代、有栖川宮慈性門主は幕府から勤皇討幕の疑いをかけられ、真言宗であるにもかかわらず、宗派の違う天台宗の徳川家菩提寺、江戸の輪王寺の住職を兼務するよう命が下りました。慈性門主は嵯峨御所大覚寺をこよなく愛され、この地を離れたくない想いを強く持たれておりました。しかしながら、命に背くこともできずいよいよ江戸に出発の時、勅使門より出られましたが何度も何度も振り返られ、大覚寺に未練を残されたということから「おなごりの門」と呼ばれるようになりました。天台座主として輪王寺で五年過ごされた間も大覚寺の伽藍復興の念願を訴えられ、輪王寺を弟の公現法親王に譲るなど着々と大覚寺への帰山に備えられました。幕府も熱意にほだされたか隠居のうえでの帰山を認めましたが、出発寸前の慶応3年(1867)11月24日、突如、江戸で残念ながらお亡くなりになられました。行年55歳。茶毒によるものだと噂されています。今でも輪王寺にある有栖川宮慈性入道親王のお墓は、京都大覚寺の方角を向いているということです。"
有栖川宮慈性(ありすがわみやじしょう 1813-1868)は、10歳で大覚寺の第44世門跡になったそうである。
振り返り振り返りした勅使門は現在の勅使門であろう。
なお、有栖川宮慈性は大覚寺の最後の門跡でもある。

