2026/06/20

Nikon Z7Ⅱ



三宝院純浄観の建物の下には池の水路が引き込まれており、舟が通れるようになっている。




家康は生母の病気回復の祈祷を義演に頼んでいる。
プライベートな面でも信頼していたのだろう。
豊臣家が滅亡しても家康が藤戸石を奪わなかった理由は、権力を象徴する石ではなく権力がいずれ奪われるものであることを示す不吉の石と家康の目には写ったからではないか。
そして、そんなつまらんものを義演からとりあげ、宗教界の権力者になっていた義演の不興を買いたくないと思ったのかもしれない。
まあ、名のあるものをむやみに欲しがるとか、名のあるものにあやかろうとするのは、名のなきものに任せておけばよいと、家康は分かっていたのだろう。



2026/06/18

Nikon Z7Ⅱ



三宝院本堂脇の苔庭。
三宝院庭園の登場人物は、秀吉の他、義演と家康、それから賢庭である。
秀吉が関白の地位を得、それが契機となって義演が歴史に浮上する。
この庭園は、庭園着工直後の秀吉の死後、そして大坂の陣で豊臣家が滅んでしまった後も、義演が死去するまで27年間も作り続けられた。
三段の滝を賢庭が完成したのも1615年というから、1598年の庭園着工から17年後になる。
庭というのは家庭という言葉の半分を占めるように、もともと人間のプライベートな側面を反映している。
晩年の秀吉から庭園の構想を静かに聞く義演、それから家康を交えての秀吉と義演の親しい語らい、そんな様子を想像してみる。