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2013/02/08

TOSHIBA Grand Concert 2013 at Suntory Hall


妻が第32回東芝グランドコンサートのチケットを2枚もらったので、二人で行ってきました。






ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団。
指揮はヤニック・ネゼ セガンさん。
ピアノはヤン・リシエツキさん。
曲目はベートーヴェンピアノ協奏曲4番と、ラフマニノフ交響曲2番。

ピアノ協奏曲、素晴らしかったです。
2階席の後ろの方でしたが、ヤンさんのダイナミックな演奏の熱気が伝わってきました。
オーケストラはそのダイナミックなピアノに遠慮することなく、重厚で格調があり、しかし、若々しくアグレッシブという、これまた非の打ちどころのない演奏。
感動しました。

交響曲も素晴らしかった。
指揮者のヤニックさん、指揮台から落っこちるのではないかと思うほどの熱演。
第3楽章が夢のように美しかった。
参りました。

なお、オーケストラの配置が変わっていました。
中央奥がコントラバス、上手側の壁面前にティンパニと大太鼓。
コントラバスの手前にチェロがあり、低音を中央に集めたような配置でした。

というわけで、すっかりロッテルダムフィルハーモニーのファンになってしまいました。
CD買おうっと。







先日、NHK美の壷の土鍋の番組を見て、伊賀長谷園の土鍋を購入した。
それから山田工業所の中華鍋GEOのステンレス鍋を6種類銅製の天ぷら鍋を立て続けに注文。
最後に燕市の山崎金属工業株式会社(YAMACO)のFishmotifのカトラリーを購入した。
米国の販売サイトはこちら(Yamazaki Gone Fishin)

5組とサービススプーン/フォークで約4万円もしたが、重厚感がまるでなく、デザインのみで正面から勝負している感じ。
山崎金属は1918年の創立。
ノーベル賞の晩餐会のカトラリーも供給しているという老舗ですが、こういう製品も作れるというのはたいしたものです。









2012/07/19

Subscription Concert No.738 at Suntory Hall

東京都交響楽団の第738回定期演奏会に行ってきました。







指揮は小泉和裕さん。
曲目は ベートーヴェンのエグモント序曲、ワーグナーのトリスタンとイゾルデから前奏曲と愛の死、チャイコフスキーの交響曲第6番、悲愴。
予定では指揮者は大植英次さんでしたが、頚椎症のため急遽出演ができなくなり、それに伴いR.シュトラウスのばらの騎士組曲がエグモント及びトリスタンとイゾルデへ変更されました。


悲愴の第4楽章が良かったです。
オーディオでこれを緻密に築いた上で強烈な厚みを出すにはやはり大規模なマルチアンプシステムしかない。
超過剰な表現には超過剰な装置で。
これが正攻法。

悲愴の思い出というと、高校生のころ試験勉強に疲れたときに攻撃的な第1楽章の展開部と第3楽章をよく聴いていました。
これを聴くとやる気が出てくる。

1977年当時使用していた装置はTT71、WE308L、4000D3、KA7300Dと10F60ダブルの自作スタガードバスレフ(55L+90L)。
装置も未熟だったし変な聴き方でした。
なつかしいなぁ。










モニターグレイのつもりの灰色ペンキ。
エレファントなんて愛称をつけていました。

当時は長岡鉄男氏の影響を受けていた。
フルレンジを卒業した今はどうだろう。

「長岡鉄男のわけのわかるオーディオ」のP132に「中途半端なマルチはメリットが少ないので、やるなら徹底的にやりたい。」と書いてある。

しかし、氏はマルチアンプを徹底的にやったことがあるのだろうか?
氏の言うところの中途半端なマルチアンプさえやったことがなかったのではないか。
結局のところやりたくてもできなかった者の捨て台詞、ということでしょう。





大学生になって研究室の入室試験に合格すると通学の時間がおしくなった。
そこで下宿することにし、大きすぎるエレファントは実家に置き去り。
その代わり55Lの箱のキットを御茶ノ水のオーディオユニオンで購入し、パッシブラジエターの10DU60Bを購入し、パッシブラジエターシステムを作りました。









このシステムはその後ONKYOのTW40Aというツィーターを加えて2WAYになり、長く付き合うことになります。
10DU60Bはユニットを取り外さなくてもおもりで実効質量を調整することができ、楽しかった。
オーディオの、良い勉強になった。

かまじいさんのところでJBL LANCER44を聴かせていただいたとき、そんなに負けてないなと思うと同時に同じような低音がするのでこれがパッシブラジエターの音なんだろうなと思いました。
ただし、かまじいさんのLANCER44の低音は背後の大型システムの15インチウーファーユニットが共振していたようなので、本当のところはどうなのかはっきりしません。
このときかまじいさんのLANCER44を聴いたヨハネスさんは「反則だぁ。」などとおっしゃっていましたが、それほど良く鳴っていました。

10F60や10DU60Bとの付き合いから10インチユニットの低音を理解するようになります。
そして、その後のJBL 2155Hの導入により、10インチユニットと15インチユニットの低音の質の差異について理解できるようになります。
10インチミッドベースを好んで使用しているのは、こうした理解からです。

パッシブラジエターという共振系をコントロールしても口径の壁を乗り越えることはできません。
このあたりが実に面白い。
理屈や周波数特性では語れない何かがある。
マルチアンプシステムはこうした「何か」をすくいとり生かすことができるというのが、一番のメリットではないかと思っています。









当時、ひっそりと発売され、ひっそりと消えていったビクターのパッシブラジエターのキットがありました。
EN-KD5
よくは覚えていないのですが、たしかパッシブラジエターのコーンが二重張りだったような。
ウィング付きということもあり、オーディオの夢を感じさせてくれる一品でした。

JBL PR15Cへの憧れがあったので今でもときどきこういうシステムを考えてしまいます。
一般に名器と呼ばれる機器よりもこうした機器の方が心に残っているのは、オーディオ評論家の物差しよりもオーディオにおける自由な発想とその可能性を愛しているからだと思っています。




2012/06/18

Subscription Concert No.736 at Suntory Hall

東京都交響楽団の第736回定期演奏会に行ってきました。






指揮は大野和士さん。
ヴァイオリンは庄治紗矢香さん。
曲目はシェーンベルクの浄められた夜、シマノフスキのヴァイオリン協奏曲第1番、バルトークの管弦楽のための協奏曲。

浄夜は弦楽六重奏の方は知っていたのですが、今回の弦楽合奏版は初めて聴きました。
凄い迫力!
コントラバス群の音は男女の機微というよりは、憤怒?の雰囲気。
う~む。

シマノフスキのヴァイオリン協奏曲は残念ながら知らない曲でした。
演奏が非常に難しい高度な曲だと思います。
庄治さんのヴァイオリンが素晴らしかった。

管弦楽のための協奏曲は楽しく聴けました。
金管、特にトランペットが良かったです。



などと呑気なことを言っている場合ではないかもね。
エキサイトのニュースにこんなのがあった。

再稼働反対11000人の抗議を報道せず。市民の声を無視するマスコミに不信感

大飯原発の再稼働に反対する市民ら11000人
6月15日、大飯原発の再稼働に反対する市民ら約11000人が首相官邸前に集まり、デモ行動を行った。一般市民や俳優の山本太郎氏、脱原発キャラクターのもんじゅ君らが官邸前に集まり、「再稼働反対!」「こどもをまもれ!」と訴えた。

福井県敦賀市の高速増殖炉もんじゅをモデルにした「もんじゅ君」は、ツイッターで脱原発を分かりやすく発信し、92000人以上のフォロワーを誇る注目のキャラクターだ。
もんじゅ君もこの日の抗議活動に参加し、その様子を赤旗新聞に発表した。
なにかのグループや組織でもなく、だれにたのまれたわけでもなく、1万1千人、金曜の夜に仕事が終わったあとに集まって、しゅくしゅくと、礼儀正しく、「再稼働反対!」「こどもをまもれ!」と声をあげていました(しんぶん赤旗より引用)

国民の声を報道しない日本のマスコミ
大勢の人たちが野田首相に脱原発を訴えたが、この様子はまったく報道されなかった。インターネットのYouTubeやブログ、Twitterなどでは、抗議活動の情報が流されたが、テレビや新聞では一切報道されなかったことに不満の声があがっている。

大飯原発の再稼働が正式に決定した翌16日も抗議デモが行われたが、この日の様子はNHKで総理大臣官邸前には、大飯原発の運転再開に反対する人たちがおよそ400人集まり、抗議活動を行いました(NHKニュースより引用)と報じられた。

ネット利用者の間では、なぜ再稼働決定前の抗議に1万人以上が集まったことを報じず、400人の小規模な抗議活動だけをテレビ放送したのか疑問だとの声があがっている。

日本のマスコミは無視を決め込んだが、海外では米ロイター、英BBC、独シュピーゲルを始めとする各国のマスコミが、日本の1万人規模の抗議活動を報じている。

ジャーナリストの田中稔氏はTwitterで、昨夜の首相官邸前に集まった1万1千人のことをマスコミは無視した。それでいて本日午前中の再稼働決定時の官邸前400人だけを某局が報道。かなり意図的な気がすると発言しており、このほかにも「一万一千人が首相官邸前に反原発デモが集まっても、ロクに報道もされないなんて。いつものことだが…。メディアが変われば日本もすぐ変わるんだが」「この国のマスメディアにジャーナリズムはない。一年以上、各地でこれだけデモや抗議行動が続き、今夜に至っては首相官邸前に1万1千人が集まった。

こんなことは近代日本の歴史上なく、革命の只中と言っても過言でない。それを一切報道しないメディアの役割とはなんだ?」
不自然な報道を行うマスコミへの不信感を表すツイートが目立った。



ところで、テレビ、見てる?
以前から面白くないと思っていたのですが、最近は本当に酷い。
面白くないというよりその幼稚さや品のなさが不快だ。
5分ぐらいでスイッチOFF。

テレビはメディアとしての寿命を迎えているのではないだろうか。
時間をかけて築き上げた信頼でもたった一度の嘘で失ってしまうことがあることを理解できないのだろう。
おそらくテレビの放送局の人々の知能レベルは小学生並になっている。
そして心を病んでいるのかもしれない。
何かが終焉をむかえるとき、それが内部崩壊から始まるのが常だしね。







 

2012/05/14

Subscription Concert No.734 at Suntory Hall

東京都交響楽団の第734回定期演奏会に行ってきました。








指揮は小泉和裕さん。
ピアノはアンドレア・ルケシーニさん。
曲目はブラームスのピアノ協奏曲第1番とラヴェルのグフニスとクロエ。

ピアノ協奏曲はアンドレアさんのピアノが素晴らしかった。
第2楽章の深遠な美しさ。
ブラームスの情の深さが伝わってきます。
解説にあった「深い宗教的気分」が普遍的な気持ちを表しているように思えます。

「それでいいのかい?」
「それでいいのよ。」
という無言の会話を聞いたような気がしました。

おなじみのグフニスとクロエ。
第2組曲は70年代のオーディオブームの頃はどこでも頻繁に聴かれていたのでは。
豪華絢爛というより絢爛豪華。
フルートの、これはパンの神の調べなのか、実に神々しい。
素晴らしい演奏でした。

「月刊都饗」の5月号のクラシック名脇役伝(著者小宮正安さん)にはグフニスとクロエにちなんでセルゲイ・ディアギレフ(1872-1929)さんのことが紹介されていました。
以下のような面白いエピソードが掲載されています。

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「この人は何者だったのか」と問われた時、答えを出しやすい人と出しにくい人がいる。
今回の主役ディアギレフなどはまさに典型的な後者。
「バレエ・リュスの興行主」としてつとに有名だが、他にも芸術愛好家、コレクター等、その肩書きは多岐に渡る。
しかも、バレエ・リュスの興行師として華々しく活躍していた時ですら、彼が何者であるのかすぐには分かりかねたらしい。
例えばスペイン国王アルフォンソ13世(1886-1941)は、いみじくもディアギレフにこう尋ねたそうである。
「君は指揮者でもなくダンサーでもない。ピアニストというわけでもないが、一体何をしておるのかね?」
これに対するディアギレフの答えが傑作である。
「畏れながら陛下と同じです。あくせく働くことはもとより、これといったことは何一ついたしませんが、なくてはならない存在なのです。」

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この解説は続けて「ディアギレフが新作バレエ用の音楽の委嘱を行わなければ、ストラヴィンスキーの「火の鳥」、ラヴェルの「グフニスとクロエ」、ファリャの「三角帽子」、サティの「バラード」といった傑作は生まれず、現在のオーケストラのレパートリーは随分と寂しいものになっていたに違いない。」としています。







2012/04/12

Subscription Concert No.732 at Suntory Hall

東京都交響楽団の第732回定期演奏会に行ってきました。






指揮はエリアフ・インバルさん。
ピアノは児玉桃さん。
曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第8番「リュッツォウ」とブルックナーの交響曲第7番。

ピアノ協奏曲はピアノとヴァイオリンの音色が溶け合い、とても美しい演奏でした。
深く豊かな響きも良かった。
モーツァルト聴いちゃったなぁ~という満足感。

いよいよブルックナー。
最初はなんとなく固い印象。
こちらが緊張していたせいもあるかもしれません。
しかし、第3楽章になるとこれは素晴らしかった。
曲が途中で途切れる部分がありますが、聴衆全員が息を凝らして聴き入っているのか、恐ろしいほどの静寂。
都饗会員はマナーがよいらしいのですが、これ程の静寂は初めてでした。
第4楽章はもう圧倒されて、ひたすら感激。
ともかく凄い演奏でした。
ワーグナーテューバも見事。
それから低音を支えたコントラバス、チェロも良かった。
第7番、楽しみにしていた甲斐がありました。

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コンサートに行くとその交響楽団の月刊誌を渡されます。
「月刊都饗」の4月号、インバルさんがマーラーについて語っている記事がありました。
以下、その抜粋。

「とても面白いことに、マーラーの交響曲は全作品でひとつのまとまりになっていて、それはマーラーの人生そのもの、と言えるのです。彼は交響曲で人生を語っているのですよ。」

「全人生がひとつの小説だとすれば、マーラーの各交響曲は小説の一章ですね。しかしいずれもそれぞれひとつの宇宙をなしており、それもまた人生なのです。」

「マー ラーの交響曲には、彼の"さすらう若者の歌"や"少年の不思議な角笛"といったリートが関連して、その主題が使われたりと共通点が多いですね。ですから、 マーラーの前半の交響曲を"角笛交響曲"とか"リート交響曲"と呼んだりしますが、大きく分けると交響曲第5番までがひとつの区切りでしょう。6番以降は 新たな局面を迎え、音楽のスタイルも創造性も変わります。」

「交響曲第1番巨人は、まさに革命です。ここから現代の音楽が始まったと言え ます。フォルクローレの使い方といい、人生の美しさばかりか醜さ、痛みといった人が避けがたいものまで、すべてを表現しています。新しい音楽スタイルや オーケストレーション、私は初めてこの曲を聴いた時の驚き、まったく未聴の世界がひらけてゆく驚きを今でもよく覚えています。」

「第1楽 章は自然の美、夢、郷愁、自然、愛が表現されています。第2楽章ではプロテストとアイロニーが描かれ、ここでマーラーの人生や理想へのシニカルな態度が表 現されています。第3楽章の中間部など、もう信じられない美しさですね。オーボエの旋律に対してトランペットが嘆きを訴えるところなど、片方の目で笑い、 もう片方の目で泣くといった、嘆きと同時に希望がある。そして終楽章、マーラーの場合だいたいそうなんですが、これは世界の終焉ですね。しかしここでは楽 観主義による勝利が到来します。希望があるのです。」

「この交響曲第1番にはすべてがある。こんなものを書いたらもうこれ以上のものは書けない、と思うのですが、彼は次の交響曲第2番でさらに素晴らしい宇宙、新世界を創造したのです。」

「交 響曲第2番復活にもすべてがあるのです。第1楽章は死者へのセレモニー、素晴らしい葬送行進曲ですね。第2楽章は最も美しい郷愁とロマンティックな表現。 不気味な悪夢を表現した第3楽章のスケルツォに続いて、次の第4楽章原光から希望が、人の希求する理想がうたわれ、そして終楽章では世界の終末との戦い。 そこへ天の救済が現れるというわけです。」

「これが交響曲第3番になりますと、各楽章に希望と美、宇宙の理想的創造が描かれているのです。それぞれの楽章にあるのは、自然や動物、愛への賛歌であり、人生のすべてが深く内包されている。」

「そ して交響曲第4番は、マーラーがしばしば描いた天国と地上、あるいは希望と悪意の狭間といったものを聴くことができるでしょう。第2楽章ではその悪意の醜 さも覗かせますが、次の第3楽章では再び郷愁や心の痛みが信じがたい美しさで表現されていて、これ以上の美は想像できないほどですね。そして第4楽章では また天上の生活、理想的な美しさで終わるというわけです。」

「交響曲第5番は、また新しい宇宙です。マーラーは決してくり返さないので す。各交響曲とも新たな世界として解釈されねばなりませんが、同時にそれら全体でひとつの人生であるということ、マーラーは常に理想への変容を探し求めて いるのです。テーマは愛、醜さ、希望といった同じものですが、それらが常に異なる表現をされているのです。」

「この5番では、第1楽章が 再び巨大な葬送行進曲。第2楽章では前楽章の素材もあちこちで使われ関連づけられ、第3楽章のスケルツォではこれまた人間と悪魔の戦い。第4楽章では不気 味な悪夢、人間の影の部分も表現され、終楽章は疑問符つきの楽観主義への皮肉。一種の勝利が表現されても、そこには疑問符がついているのです。マーラーは 第4楽章の天上の愛のテーマを第5楽章で風刺的に使っているのです。悪魔が愛の妥当性を問いかけるようにね。こうしてマーラーは悪魔的な性格から天上的な 性格まで、人生のすべての観点を音楽で表現しているのです。これは他の作曲家にみられないマーラー独自の凄さなのです。」

なお、第6番悲劇的以降はまたの機会にと、この記事には書かれておりました。



2012/03/29

Subscription Concert No.731 at Suntory Hall

東京都交響楽団の第731回定期演奏会に行ってきました。








指揮はエリアフ・インバルさん。
メゾソプラノはイリス・フェルミリオンさん、テノールはロバート・ギャンビルさん。
曲目はマーラーの亡き子をしのぶ歌と交響曲「大地の歌」。
どちらも素晴らしい演奏でした。
マーラーさんを好きになったというか、理解できるようになった。


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亡き子をしのぶ歌は震災のあとなのでこれは聴くのは辛そうだなぁと。
それに大地の歌は酒に酔った厭世的な内容。
酒に酔うような話は嫌いなんだ。
そんな気持ちでコンサートへ。

しかし亡き子をしのぶ歌が始まるとそのあまりに悲しく美しい音楽がだんだんと気持ちに入ってきます。
歌詞はフリードリヒ・リュッケルトさんの詩による。
リュッケルトさんの二人の子供さんがお亡くなりになった心境が綴られた詩。
そしてマーラーさんの娘マリアさんもこの曲が作曲された4年後にお亡くなりになったそうだ。

1901年から1904年にかけて作曲され、初演は1905年1月29日。
100年以上経過している。
それなのにこれだけの人がコンサートに集まり、リュッケルトさんの二人のお子さんとマーラーさんの愛娘マリアさんの死について考え、その悲しみを想像する。
100年たっても曲を聴いた人々が気持ちをよせるというのは凄いことだ。
思い出すことが亡くなられた3人の子供さんを蘇らせる。
だから100歳以上長生きしたのと同じになる。
さらに子供を亡くすという悲しい体験をした方はこの曲を聴けば深く共感するだろう。
共感はその人を癒し救う。

厭世的なはずの大地の歌は、だからこんな具合に聴くことができた。
長女マリアさんを失い、さらに反マーラー運動でウィーン宮廷歌劇場監督の地位を辞任せざるを得なくなって、もしもマーラーさんが本当にイヤになっちゃったら、こんなに素晴らしい交響曲を作曲することはできなかったであろう。
作曲時期は1907年から1909年。
当時はブルジュア支配層による貧富の差の拡大、理性的人間観の敗北、社会主義や民族主義の台頭と、どんどん世の中がおかしな方向へ傾いてゆき、第一次世界大戦(1914年~1918年)に突入する寸前。
中国の詩に含まれていた西洋にはない価値観の提示というより、厭世的な気持ちをこんなに素晴らしい曲に仕上げてしまったということが素晴らしい。


「しかるに人間よ お前の生はいかほどか?
百年と持たぬではないか。
朽ちるばかりの瓦落多(ガラクタ)にうつつをぬかしながら。」

「涙は止まるところをしらない 我は独り
あまりに長い 心の秋
愛の太陽よ お前はもう輝ってはくれないのか
苦渋の我が涙を優しく乾かしてはくれないのか」

「人生もまた一場の夢なら艱苦に耐えて何になろう?」


というような内容であってもそれを高度な交響曲に織り込んでしまった。
マーラーさんはとても音楽が、作曲が好きだったのだ。
イヤになっちゃうことも音楽で客観化し克服してしまった。
ということは…

好きなことを存分におやりなさい、というメッセージだったのではなかろうか。
そうすれば思い残すこともないかもね、というメッセージだったのではなかろうか。
ガラクタという言葉は傍観者の言うこと、ガラクタかどうかは本人が決めることだ。
我々に残されている時間は少ない(のかもしれない)。


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今回もマルチマイク録音がされていました。
ところがマイクの配置が以前のと全然ちがう。
音に対する考え方が違うのが分かる。
面白いなぁと思いつつも、これだけ違うとマルチマイクなどと十把一絡げでは片付けられないな。


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これで2011年度の東京都交響楽団定期演奏会会員のコンサートはすべて終了。
2012年度も同交響楽団定期演奏会の会員です。
後期は少ないので他のコンサートにも行こうと思っています。





Commented by bj44v190e at 2012-03-31 13:50 x
一見マルチマイクでも実は違うというものがあります。たとえばTBMジャズ録音で有名な神成さんは超オンマイクのイメージを持つ人が多いのですが、じつはクラシックもジャズも同じ手法で録音するひとで、オフマイクのペアをメインにして、近接マイクが補助です。

Commented by kiirojbl at 2012-04-02 00:51 x
なるほどです。
前回は楽器毎にマイクが立てられた状態だったのですが、今回は第一、第二バイオリン、ビオラ、チェロの方向へ各1本づつ計4本、それから打楽器に2本と何故かホルン1本という具合でした。
それ以外はオーケストラ上空のオフマイクです。
近接マイクを補助に、という使い方のように思います。


2012/01/24

Subscription Concert No.729 at Suntory Hall

東京都交響楽団の第729回定期演奏会に行ってきました。








今回の演奏会は「日本管弦楽の名曲とその源流」という企画だそうです。
曲目は野平一郎作曲、オーケストラのための「トリプティーク」、野平一郎作曲、チェロとオーケストラのための「響きの連鎖」、ブーレーズ作曲、エクラ/ミュルテプルの3曲。

オーケストラのための「トリプティーク」とチェロとオーケストラのための「響きの連鎖」の指揮者は作曲した野平さん自身でした。
エクラ/ミュルテプルの指揮者は杉山洋一さん。

いつもより遅れてホールに入るとステージで野平さんと聞き手の方との対談が終わる寸前。
う~む、アークヒルズのさしてううまくもない蕎麦など食べている場合ではなかったと後悔。
月刊都饗というパンフレットにも野平さんがご自身の曲の解説をされています。
作曲者自身のお話や解説というのは貴重ですよね。



オーケストラのための「トリプティーク」はかなり強烈でした。
うむむむ、と聴き入ってしまいました。
いろいろなイメージがどんどん湧いてきます。

高揚した気持ちで今度はチェロとオーケストラのための「響きの連鎖」。
チェロ奏者は堤剛さん。
大太鼓が4つ、分散して配置されています。
同時に4つが鳴るのではなく、1つづつ交互に鳴る感じです。
発音位置を変えることにより音の遠近感を出そうという試み。

この曲は堤剛さんの鬼気迫る好演もあり、すばらしかったです。
日本の森の中に潜んでいる怖れの対象を想起させるような深さを感じました。



エクラ/ミュルテプルは、日本初演。
もとになったエクラが15楽器、エクラ/ミュルテプルは10楽器増えて25楽器のための曲であるため、前の2曲に比べると楽器の数が少ないです。
でも、ツインバロンやチューブラーベルなどがあり、どんな風なのかなぁと興味深く聴きました。

杉山洋一さんの指揮は各楽器の余韻までもが、すべて指揮のなかに見て取れるようです。
指や手のひらの表情がオーケストラの音とそのままつながっている感じです。

今回の演奏会は、野平さんの曲とブーレーズさんの曲は同じ範疇の曲ということになっていると思うのですが、しかしその内包しているものは全然違うように思いました。
野平さんの曲は雅楽に通じるものを感じ、エクラ/ミュルテプルはやはりヨーロッパ音楽の雰囲気があります。
作曲家の個性の違いよりも文化的な背景の違いを感じました。



2011/12/20

Subscription Concert No.727 at Suntory Hall

東京都交響楽団の第727回定期演奏会に行ってきました。








指揮はエリアフ・インバルさん。
ヴァイオリンはジュリアン・ラクリンさん。
曲目はショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番と交響曲第12番「1917年」。

ラクリンさんのヴァイオリン協奏曲、曲の始めからいきなり引き込まれました。
1704年製ストラディヴァリ「ex Liebig/エクス・リービッグ」の使い手。
深く深く曲のなかに入っていけたような気がします。

インバルさんの交響曲第12番。
これも実に素晴らしかった。
インバルさんのファンになってしまい来年度も都響の年間会員になりました。
同じ席。






交響曲第12番ではライブ録音が行われていました。
サントリーホールでマルチマイク録音を見たのは初めてです。
インバルさんと客席の間の上空にステレオの一対、インバルさん前方上空に一対、さらにその外側、第1第2ヴァイオリン、ビオラ、チェロの各セクションの上空に1本ずつ。
さらに金管、木管、打楽器群のそれぞれの各パートごとに1本又は2本。
小型のステレオマイクと大型のコンデンサーマイクなどが身の丈ほどの位置に配置されていました。
ステージ上空の反射板はやや下方に配置されており、中低域に厚みを感じました。




交響曲第12番はライブ録音が行われていました。
サントリーホールでマルチマイク録音を見たのは初めてです。
インバルさんと客席の間の上空にステレオの一対、インバルさん前方上空に一対、さらにその外側、第1第2ヴァイオリン、ビオラ、チェロの各セクションの上空に1本ずつ。
さらに金管、木管、打楽器群の各パートごとに1本又は2本。
小型のステレオマイクと大型のコンデンサーマイクなどが身の丈ほどの位置に配置されていました。
ステージ上空の反射板はやや下方に配置されており、中低域に厚みを感じました。

マルチマイク録音は各楽器の音を明瞭にピックアップすることができます。
人間の認知機能と似ている。
街の喧騒の中でも話し相手の言葉はよく聞き取れるというのと同じです。

よく聞こえる、という以外に定位の問題もある。
オーディオに置き換えると、その相手の言葉はステレオのセンターに位置しているのでしょうか。
それは相手の方を向いているかどうかによる?

指揮者はどうなのでしょう。
オーケストラのコントロールしたい楽器奏者の方向を向いて指揮をおこなう指揮者。
そうではなく、いつも正面を向いて指揮している聖徳太子型の指揮者もいる。
見ているとさまざまです。

指揮者の向こうには作曲家がいる。
作曲家は自分の曲がどのような音世界を作り出すのか、その音世界はどのようなものになるのかを想像する。
作曲家も作曲の際にはコントロールしたい楽器奏者の方向を向いて聴くことができる音を想像していた、いやそうではなく?

音量の大きな現代楽器により、ステージでは音が炸裂するようになり、それは一つのドラマチックな音世界を作り出した。
歌劇場のボックス席で談笑しながら聴く時代は終わった。

作曲家の意図した音世界をそのまま聴かせてあげよう。
それを近くで聴いてみようよ。
もっと近くにおいでよ。
そう考えてワインヤード型のコンサートホールを採用した。
音が悪いそのホールと格闘を続け、不評のマルチマイク録音に挑戦し続けた。
ここら辺が傍観者との違い、かもね。






2011/11/10

Subscription Concert No.724 at Suntory Hall

東京都交響楽団の第724回定期演奏会に行ってきました。








指揮はヴォルフガング・ボージチさん。
ピアノはフレディ・ケンプさん。
曲目はモーツァルトピアノ協奏曲第23番とR.シュトラウス家庭交響曲。

モーツァルトのピアノ協奏曲は楽しかった。
グランドピアノの蓋の角度のせいでP席ではピアノの音量が足りないように感じるのですが、今回はそういう感じが少なかったです。
ケンプさんのピアノの存在感があったのか、それともオーケストラと呼吸が合っていたからなのか。
良かったです。

家庭交響曲はパワフルでスケールが大きな演奏。
この交響曲、家庭を描いたものらしいですが、どうにもそんなイメージを思い浮かべることできないほどダイナミック。
家庭内が劇的!というのは幸せなことなのだろうか?と考えてしまいました。










最近はマルチアンプの調整を交響曲で行っている。
先日久しぶりに女性ボーカールを聴いてみたら、あまりのバランスの良さに仰天した。
生の音に接していることが何より大切だ。



2011/06/15

Subscription Concert No.718 at Suntory Hall

東京都交響楽団の第718回定期演奏会に行ってきました。







指揮はジョセフ・ウォルフさん。
曲目はブラームスピアノ協奏曲第2番、オルウィンの秋の伝説、シベリウス交響曲第7番。

ピアノ協奏曲は素晴らしかったです。
ピアノは若林顕さん。
以前も書きましたがグランドピアノの蓋の角度のせいでP席ではピアノの音量が足りません。
距離的にも遠い。
それが残念。

秋の伝説。
イングリッシュホルンは南方総子さん。
これも素晴らしかった。
弦楽5部+イングリッシュホルンという構成。

この曲は好きです。
絵画的な印象。
おそらくリズムなどの経時的な音楽要素を控えめにするとこうした効果を得られるのかもしれません。
「弦楽オーケストラのための」として打楽器群がないのもこのためでしょう。
聴くたびに何故かボストン美術館で見たイギリス水彩画展の一枚の絵を思い出します。

どうして梅雨のさなかに秋の伝説なのかと言えば、指揮者のジョセフ ウォルフさんがイギリス人でこの曲がお気に入りなのでしょう。
この方、サー コリン デイヴィスのご子息でジョセフ ウォルフは芸名だそうです。

シベリウスの第7番。
シベリウスの最後の交響曲。
ベートーベンの第9のように作曲家のラストナンバーの交響曲を聴くといつもその作曲家の歩んできたそして歩むはずだった創作の道について考えます。

重ねられてゆく交響曲の作曲行為。
創作の泉から湧き出す新たな試み。
その中にあっても変容しない個性。
そして遠くまで歩いてゆくための原動力、情熱。






2011/05/11

Subscription Concert No.716 at Suntory Hall

東京都交響楽団の第716回定期演奏会に行ってきました。




指揮はエリアフ・インバルさん。
曲目はシューベルト 交響曲第5番とR.シュトラウス 交響詩「英雄の生涯」。

シューベルトの交響曲第5番は素晴らしい演奏でした。
弦楽器の豊かで厚みのある響きが印象的。
打楽器群がありませんが、躍動感が感じられます。
音楽の感じ方は物理的なことではないなぁ。

英雄の生涯はステージがオーケストラで埋まりました。
交響曲第5番のほぼ倍の構成。
5番のホルンが2名だったのに9名(ガイドブックには8名と記載)もいらっしゃる。
圧巻はやはりBattlefield。
スターウォーズですかという迫力。

ところでworks of peaceって、どういう意味なんだろう。
日本語訳は"?"だし。
wikiの日本語版と英語版を読んでもよく分からない。
一昔前の翻訳は忠実ではないのが多くて困るよね。




ECM8000を付属のマイクホルダに取付けて三脚に固定しようとしたら…
あれっ、ネジ穴が大きくて固定できないです。
これは雲台とかについているようなネジアダプタがないとダメだな。
しかしカメラ用のが使えるのだろうか?
うむむ。

VelbonのQRA-635という古いクイックシューを出してきて、なんとかならんかと考えてみる。
マイクホルダの上下角(あおり角)の軸をとめているネジをはずして、このネジとネジ穴を利用してクイックシューにマイクホルダーの上半分を取り付けてみた。
うむむ、カッコいい。

カッコいいなぁ、と呆けた顔でながめていると、クイックシューの裏側にネジアダプタ(画像左のネジ)がくっついているのを発見。
このアダプタ、マイクホルダのネジ穴(正確にはマイクホルダ付属のネジアダプタの穴)に入りました。
でも、アダプタの縁の部分が若干とび出しちゃうんだよね。

マイクなんて買ったことがないから、知らなかったんだ。
マイクスタンドのネジ径は3/8インチ(AKG規格)か5/8インチ(SHURE規格)らしい。
なお、ECM8000の付属マイクホルダは5/8インチで、画像右のネジアダプタも付属していて3/8インチにも対応している。
クラシックプロのマイクスタンドなら高くないから今度買ってみるか。







マイクといえばスカイセンサー5500Aの付属マイクが最初で、一番お世話になったのはこの騒音計の付属マイク。
"output"のRCA端子からマイクのみの出力ができます。
デジチャン(5素子PEQ付)のSH-D1000とこの騒音計の付属マイクとWaveSpectraによる測定はオーディオの付き合い方を根本から変えてくれました。
今度はAuto EQ。
新しい世界がはじまる。






白ホーンシステム(改造ALTEC)でDEQ2496のAuto EQを行ってみようとしましたが手間取りました。
UtilityのChannel ModeでStereo LinkとDual Monoの切換をするのが分からなかった。
Dual Monoを選択しAuto EQを左右チャンネル独立で実行できました。

空間の広がりや余韻がきれいに出て上品な音になりました。
う~む、下品とな………DEQ2496、なかなか正直な奴!

何となく散漫というかもの足りない感じなのでDCX2496の遮断特性をLR(Linkwitz-Riley)の-48dB/octからLRの-24dB/octに切り換えた。
うむっ!、です。

再度Auto EQをするとどうなるのか。
気に入ったのでしばらくこのままでいいか。

Auto EQという他人の設定?がポンとシステムに加わると、こんな風に調整の見直しを誘発します。
こういうのが貴重だよね。


2011/04/14

Subscription Concert No.714 at Suntory Hall

東京都交響楽団の第714回定期演奏会に行ってきました。
今年度は東京都交響楽団の年間会員であり、その初回でした。




指揮はモーシェ・アツモンさん、ヴァイオリン独奏は竹澤恭子さんです。
曲目はエルガー:ヴァイオリン協奏曲ロ短調op.61とブラームス:交響曲第2番ニ長調op.73。
最初にアツモンさんが地震でお亡くなりになられた方々への哀悼の挨拶がありました。
それに続いてG線上のアリアが演奏され、全員で黙祷。





年間席がステージに近い位置になりました。
反射板は天井近くに移動しており、予想通り直接音主体のアグレッシブな音でした。
3ウェイのときのJBL2360A+2446Hを髣髴とさせる鮮烈な音。
音量も上がりヴァイオリン協奏曲に驚いてしまいました。
正気に戻ったのが交響曲第2番になってからだったのですが、ともかく凄まじかった。
交響曲第2番は読売日響の演奏で先日聴いたばかりだったのですが、これだけ音が違うと比較にならない。
音楽体験は音を含めてのトータルなものだから。






サントリホール誕生の本がダメだったから永田さんの本を読んでみた。
結論から言うと、知りたいことは書かれていなかった。
しかし、知りたいこと以外のことは良く書かれている。
例えば、ワインヤード型のホールの特徴。(P142,143)

「1 シューボックス型に対し、音の迫力に欠ける。
2 楽器の指向性からくる場所による聞こえ方のバランスの差が大きい。
3 音はさわやかである。響きの質が細かく繊細である。
4 大型編成のオーケストラに対しては、大型空間からくる響きの余裕というものが感じられる。

これは逆に中型以下のホールでは味わうことのできない効果である。
ワインヤード型のホールの響きは従来のジューボックス型のホールと比べると、本質的に異なっている。
大型オーケストラ用のホールということができよう。
ただし、このホールの特色を生かすためには舞台の形状、舞台周辺の反射面の設計が重要である。
また、オーケストラ各パートの配置も新しい課題であり、音楽家と音響屋との間の詰めが必要だと考えている。」











武田邦彦さんは推進派だから話半分だが熊取六人衆の小出先生なら信用できる。
1時間23分もあるのでお忙しい方は、1時間1分あたりから数分見られると面白い。
原発を全部廃止すると日本人の生活はどうなるのかを理解できる。
あっ、日本の原発は安全だからそんな必要はないか。

京都大学原子炉実験所 小出裕章氏に聞く (Ustreamの動画)



う~ん、こういうのを読むと状況はどんどん深刻になっているようだ。
推進派というのは相当な厚顔無恥だと思っていたが、この連中が謝っちゃうというのはちとまずい。
このまま収束することを予想できれば謝るはずはない、と思っていたから。

4つの原子炉のうち1つでも水蒸気爆発すると、もはや原発に近づけないので他の原子炉も冷却ができなくなって次々と爆発する。
さらに冷却不能になった使用済み核燃料も爆発するかもしれない。
水蒸気爆発は格納容器など簡単に破壊してしまうそうだ。
そうなると日本全体が汚染され住めなくなる。
だから今のうちに謝っておこうと考えたのだろう。
こんな連中の「やってみなくちゃわからない大科学実験」に付き合わされたわけだ。







興味があるのは核燃料がどの程度あるのかということ。
1号機は69t、他の3つは94t。
それに加えて使用済みのが数百トン。
このあたりの数値をきちんと報道しないのも相当インパクトがある数値だからだろう。
全部あわせるとチェルノブイリの10倍なんて話は真実かもしれない。
そうなると汚染は日本全土ではすまないかもしれない。

検索してみるとこんな計算があった。
この数値が一桁あるいは二桁間違っていても深刻だ。





これも長いです。
1時間57分からの質問。
電気料金と原発の関係が分かりました。

小出裕章氏原発学習会(主催:生活クラブ生活協同組合・静岡)2011.04.16 04/16/11 (Ustreamの動画)








原発を全部停止しても火力発電所を7割程度稼動させるだけでよい。
代替エネルギーなどいらない。
どうりで福島第1、第2の両発電所が停止しているのに停電にならない。
震災直後は火力発電所もだいぶやられたから計画停電になった。
原発に頼らなければ日本は立ち行かないというのは、日本の原発は安全ですと言っている連中の妄想話のひとつ。
学者の評価っていうのは人柄とか評判とかそんなものは関係ないな。
将来を見通せる力があるかどうか、それだけだね。





まずは東電がGE、東芝、日立に対し安全性を確保できていない原子炉を販売したとして製造物責任あるいは債務不履行の損害賠償訴訟を行うべきだろう。
また、震度6弱で崩壊するようなコンクリートは建築基準法以下として鹿島建設にも損害賠償請求を行うべきだろう。
この場合、欠陥住宅と同じで、不法行為責任を問える。
そして、不法行為責任の時効は欠陥が発覚して(福島原発事故の日ではなく、福島の実際の現場検証後に専門家が欠陥を認定した日)から進行する。
日本の原発は安全ですって主張して売りつけたんだから。
この賠償金を確保してからでないと原発事故の補償に税金を投入すべきではない。

それからこれら企業とその構成員に対しては日本人に放射線を浴びせたとして刑事責任も追及する。
未必の故意で暴行罪成立である。
有能な法律家が結集してこれら企業を叩きのめしてほしい。






「愚かな核=原子力利用」京都大学原子炉実験所 小出 裕章より

明治三陸地震、昭和三陸地震、そして今回の大地震では津波の被害を伴った。
前二回の教訓を活かし海沿いの危険な区域は居住を制限すべきだったと思う。
実際に居住区域を制限していた村では犠牲者がほとんどでなかったそうだ。
どうしても海辺に住みたいならば海と内陸方向に長い免振構造の高層アパートでも建築すべきだ。

原発事故も同じだ。
チェルノブイリやスリーマイル島のときに考え直しておけばこうはならなかっただろう。
あとどの位の犠牲を払えばそうしたことに気付くのであろうか。
ドイツ人とドイツ政府はえらいと思う。


被爆治療83日間の記録

2011/03/08

Suntory Hall The 536th Popular Series

読売日本交響楽団の第536回名曲シリーズのコンサートに行ってきました。





指揮は指揮ジェラール・コルステンさん。
ソプラノがエヴァ・メイさん。

曲目は、
ヴェルディ:オペラ『シチリア島の夕べの祈り』序曲
ドニゼッティ:オペラ『ドン・パスクアーレ』から「その眼差しの魔力を」
ロッシーニ:オペラ『なりゆき泥棒』から「そのときが近づく」
ヴェルディ:オペラ『椿姫』第3幕への前奏曲
ヴェルディ:オペラ『椿姫』から「不思議だわ、ああ、そは彼の人か・・・花から花へ」
ロッシーニ:オペラ『ウィリアム・テル』序曲
ロッシーニ:オペラ『ウィリアム・テル』から「暗い森」
ロッシーニ:オペラ『結婚手形』から「この喜びを聞いて下さい」
ドニゼッティ:オペラ『連隊の娘』序曲
ドニゼッティ:オペラ『連隊の娘』から「高い身分と豪勢な暮らし・・・フランス万歳!」


素晴らしいコンサートでした。
エヴァ・メイさんが歌うと、広大なホールが小さく感じられます。
凄い声量です。

歌声がとても美しい。
エヴァ・メイさんの正面あたりに座っている方々が、完全に魅了されているの分かります。
アンコールも3回と、実に盛り上がりました。
やっぱりコンサートっていいなぁ。


今回が2010年度読売日本交響楽団の名曲シリーズの年間会員の最終回でした。
1年間座った席は、P6-13。
オーケストラを俯瞰するような席でした。
嵐の夜、いろいろな方向から吹き寄せる突風のような、そんなオーケストラの躍動感を楽しめました。

2011/02/24

Suntory Hall Organ Promenade Concert

サントリーホール、お昼のオルガンプロムナードコンサートに行ってきました。






オルガン奏者 近藤 岳さん
ラフマニノフ(1873~1943)/近藤岳編曲:前奏曲 嬰ハ短調 op. 3-2「鐘」
トゥルヌミール(1870~1939):パラフレーズ・カリヨン
J. アラン(1911~40):ドリア旋法のコラール
ヴィエルヌ(1870~1937):幻想曲集 第3巻 op. 54 から「ウェストミンスターの鐘」

サントリーホールのすぐそばに仕事場がある妻を誘って聴きに行きました。
演奏台がステージ上に引き出されており、演奏が良く見えるように最前列下手側の席にしました。
ステージ上の演奏台は演奏者自身が楽しむポジションである、と思います。

やはりこの巨大なパイプオルガンは素晴らしい。
パイプオルガンは音波を合成するアナログシンセサイザーとも言えるため、楽器の中でもオーディオ装置に近い存在。
今度作るミッドベースホーンの板取り図が仕上がっているので、こういう音になるかな、とあれこれ想いをめぐらせました。















細谷信二氏が2月18日に逝去されました。
ご冥福をお祈りいたします。


「JBLのマルチアンプシステムの具体例は4350にある。
15インチウーファー2本に12インチミッドバス、そして中高域用ドライバーとホーン、さらにスーパートゥイーターという組合せだ。
だが、ここではそうした既製システムのユニット構成のコンセプトとは離れ、新しいユニットで構成したい。

まず低域側は15インチダブルウーファーを基本として、これに重心を下げる目的で18インチウーファーを1本加える。

そして、中高域以上の音域をすべてホーン型で構成する。
中高域ユニットは、本来ならばコーン型の12インチ1本か8インチ2本に受持たせるところだが、ここでは250Hzから使うことができるという新しいドライバーユニット2490Hを使う。
これは磁気回路などは2446Jと同じだが、チューニングが低域寄りになっており、これに合うホーンユニット2393は開口が1m角もある巨大なものだ。
これなら中高域を十分に余裕をもって再生できそうだ。

高域用は、同じスナウトレス・ドライバーの2451Hと2353ホーン、それに対して超高域は、高域とのつながりを緊密にする2402Hトゥイーターを使う。
それぞれのクロスオーバーポイントは、下から80Hz、350Hz、2.5kHz、8kHzにとりたい。
基本的にはダブルウーファーをベースにした3ウェイシステムに、スーパーバス、スーパートレブルユニットを加えたものである。

EクロスオーバーにはアキュフェーズのF25を2台使ってもよいが、低域以上の4ウェイをF25で一旦分割し、さらに最低域と低域をJBLの5235で分割する方法をとる。
その接続方法は、ブロックダイアグラムに記したとおりだ。

ここに使うアンプシステムだが、プリアンプは、今回の試聴でも幅広い表現能力を聴かせてくれたマークレビンソンNo.38SLを使う。
パワーアンプはまず最低域用としてマッキントッシュMC500の十分なエネルギー感と制御能力の高さを活かす。
低域用には、駆動力と鮮明度の高さでNo.23.5Lとする。
中高域用と高域用には、しなやかさと弾力性に富んだ音をもつグリフォンのS100を2台そろえることで音色の統一感をもたせる。
最高域用は、独特の透明感をもったゴールドムンドのミメイシス6.5とする。
いずれのパワーアンプもゲインが異なるので、レベル合わせが困難を極めることは覚悟しておかなくてはならない。

極端にユニットの数が多く、しかも巨大なホーンを組み合わせたシステムで自然な定位を得るためには、各ユニットの配置が非常に重要になってくる。
まず、最低域のエンクロージュアは縦置きでも横置きでもよく、壁が頑丈ならば、壁に向けて間接音を聴いてもよいくらいだ。
ダブルウーファーのエンクロージュアは縦置きにして、2本のウーファーが縦並びになる状態で使うのが原則だ。
中高域用と高域用ホーンはできる限り近づけて設置したい。
そのためには2393ホーンは4508Aエンクロージュアの横に配置するくらいでちょうどよいだろう。
その2393の上に2353が縦に並ぶように配置し、2402Hは2353に近づけて設置したい。


サブウーファー   JBL 2245H  ¥188,000(ペア)
エンクロージュア  JBL 4518A  ¥220,000(ペア)
ウーファー     JBL 2226H×2 ¥260,000(ペア)
エンクロージュア  JBL 4508A  ¥232,000(ペア)
中高域用ドライバー JBL 2490H  ¥280,000(ペア)
中高域用ホーン   JBL 2393  ¥512,000(ペア)
高域用ドライバー JBL 2451H  ¥380,000(ペア)
高域用ホーン   JBL 2353  ¥102,000(ペア)
スーパートゥイーター JBL 2402H ¥102,000(ペア)
プリアンプ  マークレビンソンNo.38SL ¥1,100,000
E.クロスオーバー   JBL 5235  ¥150,000
+プラグインボード    51-5138   ¥20,000(ペア)
           アキュフェーズF25  ¥360,000
+ラインアンプユニット LA25×2   ¥100,000(2個)
+フィルターアンプユニット DN25×2 ¥100,000(2個)
+周波数ボード      ¥45,000(3枚)
最高域用パワーアンプ ゴールドムンドMimesis6.5 ¥550,000
高域用パワーアンプ  グリフォン  S100 ¥880,000
中高域用パワーアンプ グリフォン  S100 ¥880,000
低域用パワーアンプ  マークレビンソンNo.23.5L ¥1,380,000
最低域用パワーアンプ マッキントッシュMC500 ¥850,000
システム合計               ¥8,691,000 」

(1994年11月30日発行 別冊ステレオサウンド マルチスピーカーマルチアンプ大研究より)


細谷氏の上記記事はずいぶん読み返しました。
このような記事を書くことができる方がほとんどおらずさびしい限りです。

 

2011/02/18

Suntory Hall The 535th Popular Series

読売日本交響楽団の第535回名曲シリーズのコンサートに行ってきました。






ぼんやりしていてチケットを家に忘れてきてしまいました。
読売日響のチケットセンターに連絡すると仮券というのを発券してくれました。
やれやれ。

指揮はゲルト・アルブレヒトさん、ヴァイオリンが神尾真由子さん。
ブラームスのヴァイオリン協奏曲と交響曲第2番。

神尾さんのヴァイオリン、第1楽章後半の独奏が素晴らしかったです。
4、5本の楽器を束ねて演奏しているように感じるほど、音色が多彩。
第2楽章が始まると、コンサートホールという小宇宙全体が神尾さんを中心に回っていました。
もし、この第2楽章があと10分ぐらい続いていたら、胸が詰まって窒息死していたかもしれません。
ブラームス特有のもの悲しさと美しさを見事に演奏されていました。

交響曲第2番を聴きながら、マルチアンプの設定などについて考えていました。
やはりこの席で聴ける低音の量感を素直に出した方がいいのではないのか、とか、
弦楽器のうなりのような低音は、不明瞭なものとしてそのまま再現すべきではないのか、とか。
ともかくも、この曲で読売日本交響楽団の交響曲とはしばらくお別れです。
楽しかったしずいぶん勉強になりました。



















Angeloさんの画像あつめも68ページになり、かなり増えました。
メーカー製のホーンや箱はもう見飽きました。
自作のホーンや箱が面白い。
個性的な自作品を通してその方の考え方をうかがうことができるのが楽しい。
一口にホーン好きといってもお国も方向性もバ~ラバラ。
この無手勝流並存状態がじつによろしいのですよ。






素晴らしいデザイン、そして見事な木工技術。

2011/01/07

Suntory Hall The 534th Popular Series

読売日本交響楽団の第534回名曲シリーズのコンサートに行ってきました。







指揮はカルロス・カルマーさん。
スメタナ/ 交響詩〈モルダウ〉(連作交響詩〈わが祖国〉から)、グリーグ/ピアノ協奏曲、ドヴォルザーク/交響曲第9番〈新世界から〉の3曲です。
3曲とも大変ダイナミックで素晴らしい演奏でした。






ピアノ協奏曲のピアノ独奏は河村尚子さんです。
かわいらしい方なのですが堂々としたゴージャスな演奏。
感動しました。

wikiによるとグリーグのピアノ協奏曲は初期版から400ヶ所以上の変更点があるそうです。
何度何度も再検討して曲を育て練り上げてゆく。
こうした努力が時空を超えた名曲を生み出すのですね。









"JBL AUDIO ENGINEERING FOR SOUND REINFORCEMENT"を買ってみた。
コンピューターに溜め込んであるJBL社の資料を見ていると、2002年6月12日付けでこの本の発売を告げるNews Releaseを見つけた。
執筆に2年かかったそうなので2000年ごろの技術水準で書かれていることになる。






10年前だけあり、ミッドレンジ コンプレッション ドライバーの項ではJBL2490HCommumityのM4ドライバーが紹介されていた。
ふ、古いなぁ…

しかし、2490Hの断面図を初めて見れたのでうれしかった。
2490Hの解説として、"a 4-inch titanium diaphragm is loaded by a 4-to-1 phasing plug and exits through a 3-inch opening."との記載がある。
まるでエキパイの説明文だね。
それはともかく、このフェーズプラグ、実物の外観はかなり迫力があります。







まだ、黄色いホーンの2360A+2446Hを入手する以前の話である。
2490Hのことを最初に知ったのはプロサウンド誌だった。
十数年前、立ち読みで見たプロサウンド誌の新製品紹介の欄に5000番シリーズが掲載されていた。
1.5インチスロートと3インチスロートのコンプレッションドライバーを使用していることが書かれており、これは衝撃だった。

何故1.5インチや3インチなのだろうか。
2インチスロートというのはJBLがJBLであるための伝統的なフォーマットではなかったのか。
それに1.5インチというのはALTECの1.4インチに近い大きさではないか。
今までの2インチスロートのホーンが使えないではないか、などと考えてしまった。

当時は2インチスロートのラージフォーマットのホーンやドライバーが夢だった。
JBLはこれを破棄せよというのか。
夢を捨てろと。
スロート径の変更という無意味なことは止めてほしいと切に願ったことを覚えている。

2インチが1.5インチに小さくなるのは残念だ。
一方、3インチになってもダイアフラム径は4インチのまま。
フォーマットを変更する意味は何だろう…

この事件がすべての始まりだったような気がする。
不変と信じていたフォーマットが変更されたことについてオーディオ雑誌はフォローしなかった。
このことがオーディオ雑誌に対する信頼感を不信感に変えていった。
そして当時一般的になりつつあったインターネットから情報を集めるようになった。

しかし、そのインターネットにも2490Hに関してはほとんど情報がなかった。
情報がないことが想像力をかきたてる。
集めた画像を眺めてみたり、CADで図面を描いてみたりと、そんなことをしても音は聴こえてこないのに。

黄色いホーンの2360A+2446Hを購入する際にも候補にあがった。
そのときは2360A+2446Hを購入すればその熱も冷めると思うことにした。
結局、熱は冷めることなく続いた。

付き合い始めて5年。
未だに本領を発揮させていないような、そんな気がしている。








 

2010/12/22

Suntory Hall The 533th Popular Series

読売日本交響楽団の第533回名曲シリーズのコンサートに行ってきました。






年末恒例のベートーヴェン交響曲第9番「合唱付き」。
指揮はヒュー・ウルフさん、独唱は木下美穂子さん(S)、林美智子さん(M-s)、高橋淳さん(T)、与那城敬さん(Br)。
混声合唱は新国立劇場合唱団。
迫力があり、大変素晴らしかったです。
独唱も混声合唱も本当に良かった。

オーケストラの背後に合唱団が配置されているため、ティンパニ等の打楽器群が上手に移動。
その場所にあったコントラバス群が今度は下手に移動。
第1第2バイオリンが両翼に展開し、内側の下手側にチェロ、上手側にビオラだったように思います。
木管群がその後ろ、その木管群を挟むように下手側にホルンとそれ以外の金管群が上手側に配置されていました。

第9はティンパニが大活躍の曲です。
いつもと違う場所に配置されたティンパニの音が全然ちがうので驚いてしまいました。
それにコントラバス群が離れた場所に配置されていたため、今回のオーケストラの音はずいぶんすっきりした印象でした。

この素晴らしい第9を聴きながら思ったのは、この後に続く作曲家は大変だっただろうなぁということ。
これを超える曲をと考えたとき…おそらく彼等はクラクラッとしたことでしょう。









wikiの初演、パリでの部分的再演、ワーグナーによる復活演奏などの項目を読むと、第9は演奏するのがともかく大変な曲だったようです。

中川右介氏の「世界の10大オーケストラ」によると、ウィーンで第9が完璧なかたちで演奏されたのは1843年3月19日のことだったそうです。
オットー・ニコライ指揮、ウィーンフィルハーモニーによる演奏。

このニコライの前任とも言えるフランツ・ラハナーはベートーヴェンの交響曲を満足なかたちで演奏したい、要するに自分自身が聴いてみたいという動機でベートーヴェンの交響曲の指揮を行ったのだそうです。
情熱的な話ですね。

現代では歴史的名演を格安のCDで聴くことができ、大規模なプロオーケストラの生演奏を聴く機会にも恵まれています。
ありがたいことです。

最近、古本の「ドキュメントサントリーホール誕生」を読みました。
ホール音響の詳しい話やその根底にある音楽観の話を期待したのですがダメでした…
う~む。




2010/11/21

Suntory Hall The 532th Popular Series

読売日本交響楽団の第532回名曲シリーズのコンサートに行ってきました。






指揮はシルヴァン・カンブルランさん。

前半はハイドン/交響曲第6番 〈朝〉、交響曲第7番 〈昼〉 、交響曲第8番 〈夕べ〉という3部作。
約40名という、この作品としては巨大なオーケストラ。
ハイドンを現代の音響環境に合わせてみる、あるいは、楽団の団員を一人でも多くハイドンで鍛える。
結果として、これはハイドンの時代には聴けなかったハイドン。
リッチな音ゆえになんだか庶民の音。

救いだったのは、ブラーボの声が飛ばなかったこと。
こういう音楽にはそんなのは似合わない。
貴族の気分で上品に拍手しようね。

後半はストラヴィンスキー/バレエ音楽〈火の鳥〉全曲(1910年版)。
約100名、100年前、そして100%のハイパワー。

火の鳥はオーディオマニア御用達の一曲。
クラシックを聴かないマニアでも大抵持っている。
色彩感が豊かで大迫力。
特に大型システムだと大変よく鳴る。
しかし、帰り道、口ずさんだのはハイドンだった。




朝昼晩についてもう少し。
小編成、打楽器がない等々、交響曲の原初の姿。
朝昼晩の3つの交響曲は同時期に作曲されたそうです。
完成度が高いというか、ユーモアを感じさせる部分さえあるという余裕、老練な作曲家を感じさせる作品。
しかし、ストラヴィンスキーもそうだけどハイドンも30歳前ですから驚き。

特徴的なのは朝昼晩の第3楽章がいずれもMenuet and Trioであること。
コントラバスのソロの中間部を備えています。
朝昼晩の第3楽章を聴き比べてみると、それぞれ題名のイメージが湧きます。
第3番、第5番の交響曲も第3楽章がMenuet and Trioですが、朝昼晩に比べると雰囲気は大幅に異なります。

晩の第4楽章にはthe Storm(嵐)との記載があるそうです。
この嵐の描写、楽しげです。
単純に連想される激しさや恐ろしさがない。
その代わり次の稲光や雷鳴をワクワクしながら待つという気分を思い出しました。

朝昼晩の旋律はとてもおだやかで美しく格調高い。
露悪や過剰な表現とは無縁。
控えめで一線を越えず、だからこそ深く共鳴できる。
軸足がハイドンに移ってしまいそうです。








指揮はシルヴァン・カンブルランさん。

前半はハイドン/交響曲第6番 〈朝〉、交響曲第7番 〈昼〉 、交響曲第8番 〈夕べ〉という3部作。
約40名という、この作品としては巨大なオーケストラ。
ハイドンを現代の音響環境に合わせてみる、あるいは、楽団の団員を一人でも多くハイドンで鍛える。
結果として、これはハイドンの時代には聴けなかったハイドン。
リッチな音ゆえになんだか庶民の音。

救いだったのは、ブラーボの声が飛ばなかったこと。
こういう音楽にはそんなのは似合わない。
貴族の気分で上品に拍手しようね。

後半はストラヴィンスキー/バレエ音楽〈火の鳥〉全曲(1910年版)。
約100名、100年前、そして100%のハイパワー。

火の鳥はオーディオマニア御用達の一曲。
クラシックを聴かないマニアでも大抵持っている。
色彩感が豊かで大迫力。
特に大型システムだと大変よく鳴る。
しかし、帰り道、口ずさんだのはハイドンだった。




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朝昼晩についてもう少し。
小編成、打楽器がない等々、交響曲の原初の姿。
朝昼晩の3つの交響曲は同時期に作曲されたそうです。
完成度が高いというか、ユーモアを感じさせる部分さえあるという余裕、老練な作曲家を感じさせる作品。
しかし、ストラヴィンスキーもそうだけどハイドンも30歳前ですから驚き。

特徴的なのは朝昼晩の第3楽章がいずれもMenuet and Trioであること。
コントラバスのソロの中間部を備えています。
朝昼晩の第3楽章を聴き比べてみると、それぞれ題名のイメージが湧きます。
第3番、第5番の交響曲も第3楽章がMenuet and Trioですが、朝昼晩に比べると雰囲気は大幅に異なります。

晩の第4楽章にはthe Storm(嵐)との記載があるそうです。
この嵐の描写、楽しげです。
単純に連想される激しさや恐ろしさがない。
その代わり次の稲光や雷鳴をワクワクしながら待つという気分を思い出しました。

朝昼晩の旋律はとてもおだやかで美しく格調高い。
露悪や過剰な表現とは無縁。
控えめで一線を越えず、だからこそ深く共鳴できる。
軸足がハイドンに移ってしまいそうです。









YouTubeにあった交響曲第8番 〈夕べ〉の第2楽章と第3楽章。
4:26からの第3楽章、まさかのホルン大爆発。
沈痛な面持ちの指揮者、団員の表情も険しい。
8:41のコンマス、あからさまだ。

この3部作はソロパートやソロ同士の掛け合いが多い。
当時ハイドンが副楽長を務めたエステルハージ家の楽団は名手揃いだったそうである。

コントラバスとチェンバロは並べて配置されている。
これは実に重要。
残念ながらこの録画からは聴き取ることができないが、このコントラバスとチェンバロの音色の混ざり具合が最高に美しい。
ウーファーとツィーターの配置に気を配るのと同じ。
コンサートでもこのような配置だった。
なお、ハイドンはチェンバロを演奏しながら指揮をしたという説もある。







ハイドンを調べてゆくとブラームスに行き当たった。
そこでブラームス作品大全集(60CD)の中古をアマゾンから購入。
中古と言っても未開封新品、但し箱の角がつぶれているというもの。

こうしたセットものは全部聴く必要などない。
1枚でも気に入れば、それでいいのである。
要するに60枚の中から1枚だけしか気にいらなければ、その1枚は4200円ということだ。
そして、ありえないことだが全部を同じように気に入れば1枚が70円になるというだけのことである。
気に入った音楽の値段など考えて、それが一体何になるというのだ?

この文章、デジャヴではなく、単なる使いまわしである。
しかも安かったことを自慢したいだけである。
すまん。








2010/10/08

Suntory Hall The 531th Popular Series

読売日本交響楽団の第531回名曲シリーズのコンサートに行ってきました。





指揮はロベルト・ミンチュクさん。

前半はR.シュトラウス/交響詩〈ドン・キホーテ〉でした。
チェロ独奏はヨハネス・モーザーさん、ヴィオラ独奏は鈴木康浩さん。

ドンキホーテの本は読んだことがないのです。
読んでみたい。
とはいえこちらも夢見がちな、というか現実感のないヒトなので、本当は読むのが怖くて読めない。

wikiによると…
「騎士道物語(当時のヨーロッパで流行していた)を読み過ぎて妄想に陥った郷士(下級貴族)の主人公が、自らを伝説の騎士と思い込み、「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」(「ドン」は郷士より上位の貴族の名に付く。
「デ・ラ・マンチャ」はかれの出身地のラ・マンチャ地方を指す。
つまり「ラ・マンチャの騎士・キホーテ卿」と言った意味合い)と名乗り、痩せこけた馬のロシナンテにまたがり、従者サンチョ・パンサを引きつれ遍歴の旅に出かける物語である。」

要するにオーディオ雑誌を読みすぎた男が、果てしのないオーディオ道楽にうつつをぬかし、人生をだいなしにしてしまうお話?

10の変奏曲があるのですが、その変奏の10が"The defeat of Don Quixote by the knight of the White Moon"、
そして、変奏10に続く最後の部分が"The death of Don Quixote"となります。
本を読んでいないので正確なことは分かりませんが、defeatの意味は敗北とか挫折、そして最後のdeathは死。
失意のうちに死ぬ、ことが描かれている。

大抵、何かに負けつつあるというか、逃げ始めるから夢の世界に入り込む。
そして、最後もやっぱり負けちゃう。
何と申しますか、アル中といっしょで救いようがない?
う~む。

R.シュトラウスさんはドンキホーテの人生をどのように評価していたのか?
ドンキホーテの主題は伸びやかでのんびりしていて好きだけど、否定的なあるいは嘲笑的な意味が込められているのかな。
そのR.シュトラウスさん、ドン・ファンの交響詩も作っている。
秘められているエネルギーは共通しますから、ということかいな。


後半はベートーヴェン/交響曲第7番。
素晴らしかったです。
第2楽章のホルン、滅茶苦茶にいい音でした。
こんな音は聴いたことがなかったのでびっくりした。
そして、ロベルト・ミンチュクさん、この方は凄い。


 

2010/09/29

Suntory Hall The 530th Popular Series

読売日本交響楽団の第530回名曲シリーズのコンサートに行ってきました。






指揮は下野竜也さん。
前半は岡坂慶紀/哀歌、R.シュトラウス/オーボエ協奏曲。

哀歌はショスタコーヴィチの交響曲を連想させる雰囲気がありましたが、独特の間があり、また弦楽器だけという編成もあいまって個性的な曲でした。
作曲家の岡崎氏が客席におられ喝采をうけていました。

オーボエ協奏曲の独奏はフランソワ・ルルーさんです。
素晴らしかったです。
涙がでそうなほど美しい音。
オーボエから零れた音楽が聴衆のひとりひとりの心に触れていく様が見えるようでした。

後半はベートーヴェンの英雄。
オーボエ協奏曲のあとというとこもあってか一本調子に聴こえてしまいました。
ちょっと残念。