マーラーの交響曲、第5番のあとご無沙汰しております。
その後、6、7、8、3、10番などを聴いておりましたが、どうも6番のことをブログに書くのが億劫になってしまい、そのままになっておりました。
さあ、この6番、wikiによると
"マーラーがシュペヒトに宛てた手紙には、「僕の第6は、聴く者に謎を突きつけるだろう。この謎解きには、僕の第1から第5までを受け入れ、それを完全に消化した世代だけが挑戦できるのだ」と書いている。"のだそうです。
ということで、これはマーラー自身の謎掛けなのでしょうか?
要するに6番には何か意図があると。
そこでネットで検索をかけてみるとどうやら宗教のことを扱っているという意見が多いように思います。
宗教とクラシック音楽は切っても切れない間柄ですが、残念ながら宗教のことはよく分かりません。
分からないというより、宗教的な体験をする機会がなく無縁なのでした。
唯一、結婚式のときに、生涯あなたは妻を愛しますか等々、神父さんから質問されたことがそうした体験になるかと思います。
そのときは、神さまとそんな大層な約束をしても大丈夫なのでしょうか?と神父さんに聞き返したくなりました。
もっとも信仰心のない者が突然約束を立てたとしても相手にされていないようにも思いましたが。
アメリカにいたとき、アメリカでは離婚が多いようなのですが、結婚式のときの神さまとの約束はどうなるのでしょうか?ということを、たまに教会に行くよという人に尋ねたことがあります。
答えは、神はそれもお許しになられます、ということでした。
なるほど。
というわけで6番については、本当のところは何も分からないとは思うのですが、せっかくのマーラーさんの謎掛けなので分からないなりに考えてみました。
グスタフ・マーラーさんは1860年7月7日生まれ、1911年5月18日にお亡くなりになります。
主にオーストリアのウィーンで活躍しました。
1860年生まれですから100歳ほど年下になり、なんとなく親近感が湧きます。
100年って、区切りがいいではないですか。
6番は1904年に書き上げたそうです。
このときマーラーは44歳です。
1904年のウィーンはどんな感じだったのでしょう。
第一次世界大戦が1914年に始まったので、その10年前ということです。
wikiによると、当時、オーストリア=ハンガリー帝国では、複雑な民族問題があり、9言語を話す16の主要な民族グループ、および5つの主な宗教が混在していたそうです。
そしてサラエボ事件(1914年6月28日)が起こってしまった。
5つの宗教が混在していたことから、6番の4楽章のハンマーの打撃回数が当初5回で計画されていたことを連想します。
この5つの宗教がどの宗教なのかはwikiに表記されていないので特定できません。
一般的に宗教と言えばキリスト教、イスラム教、仏教の3つだと思います。
5大宗教ならば、さらにヒンドゥー教とユダヤ教を加えることになるのでしょう。
マーラーさんの両親はユダヤ人でした。
しかし、マーラーさんは才覚のある人なので神さまに頼らなくても大丈夫な人だったのではないかと。
とは言え、交響曲第1番の巨人は、巨漢ゴリアテだったのだろうとは思っています。
古代ユダ王国の建国の父、羊飼いの若者であるダビデが主人公というわけです。
ジャン・パウルの小説「巨人」に由来するそうですが、そうとでも言わないとまずかったのでしょう。
当時、1番は不評だったそうですが、音楽的な斬新さが原因だったというより、聴衆がユダヤ教を連想したからではなかったのかと。
マーラー自身、巨人の標題は"誤解"を生む可能性があると認めています。
そして、音楽的成功を優先させるためだったのか、2番のタイトルをキリストの"復活"にしたのもそういう影響があるのだと思っています。
ちなみに1897年、37歳のときにユダヤ教からローマカトリックに改宗しています。
この改宗はウィーン宮廷歌劇場の芸術監督になるためだったそうです。
対立するグループの一方から他方へ移るわけですから、相当困難な状況に置かれたことでしょう。
こうした場合、両グループに対する怨恨は深いものになります。
マーラーさんが、自身の信仰の対象としてキリスト教とユダヤ教をどのようにとらえていたのかは誰にも分かりません。
しかし、作曲という創作の場においては、かなり客観的に捉えていたように思えます。
創作のやり方としては、従来の考え方をベースにした創作と、従来の考え方を採用せず、他の考え方をベースにする創作の2種類があります。
マーラーの場合、キリスト教ベースの作曲を、たとえばユダヤ教ベースにするのはどうだろうかと、そんな風に考えたのではないでしょうか。
大地の歌などは、キリスト教文化でなくても他の文化でも西洋音楽の伝統に則った音楽を構築できるとする実証実験だったように思えます。
このやり方が、どんどん進んで現代音楽が生まれてゆくことになったように思えます。
6番の話に戻しましょう。
6番というとベートーヴェンの田園が有名です。
マーラーは田園が好きだったのではないでしょうか。
巨人の第4楽章と田園の第4楽章、続けて聴くと面白いです。
マーラーはこの荒れ狂うパワフルな表現を最初の大曲である巨人でやってみたかったのではなかろうか。
そして田園は標題音楽の代表格。
デリケートな宗教のことを扱うので標題を付す訳にはいかず、"謎解き"というか標題を聴衆に解読するよう求めたのではないでしょうか。
という訳でマーラーの6番は"無標題による標題音楽"に挑戦したのではないかと。
聴いてみた6番は以下の通り。
Herbert von Karajan - Berlin Philharmonic 1978
Klaus Tennstedt - London Philharmonic Orchestra 1983
Leonard Bernstein - New York Philharmonic 1967
Leonard Bernstein - Vienna Philharmonic 1988
Pierre Boulez - Vienna Philharmonic 1994
Giuseppe Sinopoli - Philharmonia Orchestra 1986
Riccardo Chailly - Amsterdam Concertgebouw Orchestra 1989
Claudio Abbado - Berlin Philharmonic 2004
Lorin Maazel - Vienna Philharmonic 1983
Saimon Rattle - City of Birmingham Orchestra 1989
Esa-Pekka Salonen - Philharmonia Orchestra 2009
Rafael Kubelik - Bavarian Radio Symphony
Georg Solti - Chicago Symphony Orchestra
Eliahu Inbal - Radio-Sinfonie-Orchester Frankfurt 1986
Zubin Mehta - Israel Philharmonic Orchestra 1995
Sir Jhon Barbirolli - New Philharmonia Orchestra 1967
ええっと、2楽章と3楽章の演奏の順番についてはアンダンテ-スケルツォの順が良いと思います。
だって、1楽章のあとがスケルツォというのはうっとうしいです。
各楽章のタイトルというか印象は以下の通り。
第1楽章は「宗教が持つ不寛容と排撃性。そうした宗教と対照的な人々の慈愛や家族愛。」を描いていると。
出だしの不寛容な雰囲気はマーラーらしからぬ近接戦闘状態であり、なんというか悪役の提示のような感じを受けます。
第2楽章は「原始というか原初の宗教の姿。羊の群れを美しい泉へ誘導する牛飼い。」
これをカウベル等で表現しているように思います。
マーラーさんは、夏期に作曲小屋(複数あり)にこもって作曲するわけですが、この作曲小屋のほとんどがオーストリアの美しい湖の近くにあります。
朝靄の立ちこめる湖から朝日が昇るのを見て、何を思ったのでしょうか。
第3楽章は「宗教関係者のおろかな姿。」
20世紀ですからすでに神は死んでおり、主不在の状態での他者否定と幼稚な自己完結、あとは利権がらみの腐敗が宗教関係者の間ですすんでいたのではないでしょうか。
第4楽章は「マーラーの夢の王国において裁かれるキリスト教とユダヤ教。」
本来裁かれるはずもない宗教であるが、4楽章の最初の部分は幻想的な王国の出現を感じさせます。
第1楽章や第3楽章で描かれるような2つの宗教のあり方に鉄槌(ハンマー)を下したのではないかと。
う~む、ちょっと無理があるか。
でもなぁ、当時のウィーンにおける反ユダヤ主義は相当苛烈だったのではなかろうかとも思います。
もっと広げて考えるなら、2つのハンマーは宗教と民族紛争の2つを意味していたのかもしれません。
あるいは、そうした紛争を引き起こす人々の心のありようを批判したものかもしれません。
レナード バーンスタインはアルマの回想に基づいて3度ハンマーを打たせる演奏をしていますが、3つ目はイスラム教のつもりだったのかもしれません。
バーンスタインさんはユダヤ系アメリカ人であり、めずらしくユダヤ系であることを隠さなかった人です。
この手の改変、相当な思い入れというか深い考えがなければやらないでしょう。
作曲家だもんね。
とまあ、ごちゃごちゃと書いてみましたがとりとめもない。
だいたい、今年は冥王星の画像が見られる、なんてことを楽しみにしている人間が宗教を扱っているとされる音楽を語るなんて無理があるもの。
しかし、黄色いホーンシステムとマーラーは相性がいいんだ。
そして、あれこれ考えなくても、マーラーは素晴らしいのです。