東京都交響楽団の第738回定期演奏会に行ってきました。
指揮は小泉和裕さん。
曲目は ベートーヴェンのエグモント序曲、ワーグナーのトリスタンとイゾルデから前奏曲と愛の死、チャイコフスキーの交響曲第6番、悲愴。
予定では指揮者は大植英次さんでしたが、頚椎症のため急遽出演ができなくなり、それに伴いR.シュトラウスのばらの騎士組曲がエグモント及びトリスタンとイゾルデへ変更されました。
悲愴の第4楽章が良かったです。
オーディオでこれを緻密に築いた上で強烈な厚みを出すにはやはり大規模なマルチアンプシステムしかない。
超過剰な表現には超過剰な装置で。
これが正攻法。
悲愴の思い出というと、高校生のころ試験勉強に疲れたときに攻撃的な第1楽章の展開部と第3楽章をよく聴いていました。
これを聴くとやる気が出てくる。
1977年当時使用していた装置はTT71、WE308L、4000D3、KA7300Dと10F60ダブルの自作スタガードバスレフ(55L+90L)。
装置も未熟だったし変な聴き方でした。
なつかしいなぁ。
モニターグレイのつもりの灰色ペンキ。
エレファントなんて愛称をつけていました。
当時は長岡鉄男氏の影響を受けていた。
フルレンジを卒業した今はどうだろう。
「長岡鉄男のわけのわかるオーディオ」のP132に「中途半端なマルチはメリットが少ないので、やるなら徹底的にやりたい。」と書いてある。
しかし、氏はマルチアンプを徹底的にやったことがあるのだろうか?
氏の言うところの中途半端なマルチアンプさえやったことがなかったのではないか。
結局のところやりたくてもできなかった者の捨て台詞、ということでしょう。
大学生になって研究室の入室試験に合格すると通学の時間がおしくなった。
そこで下宿することにし、大きすぎるエレファントは実家に置き去り。
その代わり55Lの箱のキットを御茶ノ水のオーディオユニオンで購入し、パッシブラジエターの10DU60Bを購入し、パッシブラジエターシステムを作りました。
このシステムはその後ONKYOのTW40Aというツィーターを加えて2WAYになり、長く付き合うことになります。
10DU60Bはユニットを取り外さなくてもおもりで実効質量を調整することができ、楽しかった。
オーディオの、良い勉強になった。
かまじいさんのところでJBL LANCER44を聴かせていただいたとき、そんなに負けてないなと思うと同時に同じような低音がするのでこれがパッシブラジエターの音なんだろうなと思いました。
ただし、かまじいさんのLANCER44の低音は背後の大型システムの15インチウーファーユニットが共振していたようなので、本当のところはどうなのかはっきりしません。
このときかまじいさんのLANCER44を聴いたヨハネスさんは「反則だぁ。」などとおっしゃっていましたが、それほど良く鳴っていました。
10F60や10DU60Bとの付き合いから10インチユニットの低音を理解するようになります。
そして、その後のJBL 2155Hの導入により、10インチユニットと15インチユニットの低音の質の差異について理解できるようになります。
10インチミッドベースを好んで使用しているのは、こうした理解からです。
パッシブラジエターという共振系をコントロールしても口径の壁を乗り越えることはできません。
このあたりが実に面白い。
理屈や周波数特性では語れない何かがある。
マルチアンプシステムはこうした「何か」をすくいとり生かすことができるというのが、一番のメリットではないかと思っています。
当時、ひっそりと発売され、ひっそりと消えていったビクターのパッシブラジエターのキットがありました。
EN-KD5。
よくは覚えていないのですが、たしかパッシブラジエターのコーンが二重張りだったような。
ウィング付きということもあり、オーディオの夢を感じさせてくれる一品でした。
JBL PR15Cへの憧れがあったので今でもときどきこういうシステムを考えてしまいます。
一般に名器と呼ばれる機器よりもこうした機器の方が心に残っているのは、オーディオ評論家の物差しよりもオーディオにおける自由な発想とその可能性を愛しているからだと思っています。
指揮は小泉和裕さん。
曲目は ベートーヴェンのエグモント序曲、ワーグナーのトリスタンとイゾルデから前奏曲と愛の死、チャイコフスキーの交響曲第6番、悲愴。
予定では指揮者は大植英次さんでしたが、頚椎症のため急遽出演ができなくなり、それに伴いR.シュトラウスのばらの騎士組曲がエグモント及びトリスタンとイゾルデへ変更されました。
悲愴の第4楽章が良かったです。
オーディオでこれを緻密に築いた上で強烈な厚みを出すにはやはり大規模なマルチアンプシステムしかない。
超過剰な表現には超過剰な装置で。
これが正攻法。
悲愴の思い出というと、高校生のころ試験勉強に疲れたときに攻撃的な第1楽章の展開部と第3楽章をよく聴いていました。
これを聴くとやる気が出てくる。
1977年当時使用していた装置はTT71、WE308L、4000D3、KA7300Dと10F60ダブルの自作スタガードバスレフ(55L+90L)。
装置も未熟だったし変な聴き方でした。
なつかしいなぁ。
モニターグレイのつもりの灰色ペンキ。
エレファントなんて愛称をつけていました。
当時は長岡鉄男氏の影響を受けていた。
フルレンジを卒業した今はどうだろう。
「長岡鉄男のわけのわかるオーディオ」のP132に「中途半端なマルチはメリットが少ないので、やるなら徹底的にやりたい。」と書いてある。
しかし、氏はマルチアンプを徹底的にやったことがあるのだろうか?
氏の言うところの中途半端なマルチアンプさえやったことがなかったのではないか。
結局のところやりたくてもできなかった者の捨て台詞、ということでしょう。
大学生になって研究室の入室試験に合格すると通学の時間がおしくなった。
そこで下宿することにし、大きすぎるエレファントは実家に置き去り。
その代わり55Lの箱のキットを御茶ノ水のオーディオユニオンで購入し、パッシブラジエターの10DU60Bを購入し、パッシブラジエターシステムを作りました。
このシステムはその後ONKYOのTW40Aというツィーターを加えて2WAYになり、長く付き合うことになります。
10DU60Bはユニットを取り外さなくてもおもりで実効質量を調整することができ、楽しかった。
オーディオの、良い勉強になった。
かまじいさんのところでJBL LANCER44を聴かせていただいたとき、そんなに負けてないなと思うと同時に同じような低音がするのでこれがパッシブラジエターの音なんだろうなと思いました。
ただし、かまじいさんのLANCER44の低音は背後の大型システムの15インチウーファーユニットが共振していたようなので、本当のところはどうなのかはっきりしません。
このときかまじいさんのLANCER44を聴いたヨハネスさんは「反則だぁ。」などとおっしゃっていましたが、それほど良く鳴っていました。
10F60や10DU60Bとの付き合いから10インチユニットの低音を理解するようになります。
そして、その後のJBL 2155Hの導入により、10インチユニットと15インチユニットの低音の質の差異について理解できるようになります。
10インチミッドベースを好んで使用しているのは、こうした理解からです。
パッシブラジエターという共振系をコントロールしても口径の壁を乗り越えることはできません。
このあたりが実に面白い。
理屈や周波数特性では語れない何かがある。
マルチアンプシステムはこうした「何か」をすくいとり生かすことができるというのが、一番のメリットではないかと思っています。
当時、ひっそりと発売され、ひっそりと消えていったビクターのパッシブラジエターのキットがありました。
EN-KD5。
よくは覚えていないのですが、たしかパッシブラジエターのコーンが二重張りだったような。
ウィング付きということもあり、オーディオの夢を感じさせてくれる一品でした。
JBL PR15Cへの憧れがあったので今でもときどきこういうシステムを考えてしまいます。
一般に名器と呼ばれる機器よりもこうした機器の方が心に残っているのは、オーディオ評論家の物差しよりもオーディオにおける自由な発想とその可能性を愛しているからだと思っています。
2 件のコメント:
かなり前に、ラジオ技術の別冊で、木下正三さんがパッシブラジエーターの新技術解説をしていました。今読んでも刺激的です。当時P社でグラファイトコーン振動板のパッシブラジエーター製品を作っていたのです。
残念なことにラジオ技術のその記事は知りませんでした。
パイオニアだとS922というのがあり、カッコ良かったのですが、残念ながらそのパッシブラジエターのユニットは販売されなかったので自作派としてはどうしようもありませんでした。
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