2013/12/15

GUSTAV MAHLER SYMPHONY No.5

黄色いホーンシステムに似合う音楽の一つがマーラーの交響曲。
共通しているのは巨大であること、複雑な制御、そして斬新な構成。
全てが凍りついた夜に、黄色いホーンシステムの咆哮がマーラーの交響曲の中から悪魔を呼び出す…




マーラーの作品をまとめて聴いてみようと思ったのは、クリエイティブ社のPremium HDを導入してからです。
コンピューターがCDプレーヤーの代わりになることを実感できました。
黄色いホーンシステムと白ホーンシステム(改造ALTEC)は別々の部屋に置いてあります。
また、マーラーの多数のCDも、それらの部屋に半分ずつ置いてあります。
しかし、どのCDをどっちの部屋に置いたのかを覚えていない…
だからマーラーのCDを1台のノートパソコンにまとめて収容できれば、CDを探し回る手間を省けます。

また、ヨハネスさんがブログでマーラーの3番のような2枚のCDにまたがるような作品をコンピューターに記憶させると連続して聴くことができて具合がよろしいということを書かれていました。
長い曲の場合、曲の途中でCDが終わってしまいます。
2枚組みならあまり問題ないのですが、CDのボックスセットの場合は後半が入っているCDをいちいち探さなくてはなりません。
これが本当に面倒。




というわけでCDのリッピング作業を行いつつ、マーラーの交響曲のまとめ聴き?を行おうと思います。
最初は第5番から。

インバルさんがマーラーの交響曲第5番についてこんなふうに語っています。
「交響曲第5番は、また新しい宇宙です。マーラーは決してくり返さないのです。各交響曲とも新たな世界として解釈されねばなりませんが、同時にそれら全体でひとつの人生であるということ、マーラーは常に理想への変容を探し求めているのです。テーマは愛、醜さ、希望といった同じものですが、それらが常に異なる表現をされているのです。
この5番では、第1楽章が 再び巨大な葬送行進曲。第2楽章では前楽章の素材もあちこちで使われ関連づけられ、第3楽章のスケルツォではこれまた人間と悪魔の戦い。第4楽章では不気味な悪夢、人間の影の部分も表現され、終楽章は疑問符つきの楽観主義への皮肉。一種の勝利が表現されても、そこには疑問符がついているのです。マーラーは 第4楽章の天上の愛のテーマを第5楽章で風刺的に使っているのです。悪魔が愛の妥当性を問いかけるようにね。こうしてマーラーは悪魔的な性格から天上的な 性格まで、人生のすべての観点を音楽で表現しているのです。これは他の作曲家にみられないマーラー独自の凄さなのです。」

インバルさんのような解釈は、できるヒトにはできるし、できないヒトにはできない。
残念ながら後者のヒトなので難しいことは考えず、いつものようにひたすら聴くだけです。
それだけでも十分幸せになれるのでこれで問題ございません。




マーラーの5番のCDは20枚ぐらい持っていますが、とりあえず今回は以下の3枚。
Klaus Tennstedt - London Philharmonic Orchestra 1978
Leonard Bernstein - New York Philharmonic 1963
Herbert von Karajan - Berlin Philharmonic 1978

1枚のCDに納まるマーラーの交響曲の中から5番をリッピング作業のテスト用として選びました。
だってインバルさんが「悪魔悪魔」って連呼するし、黄色いホーンも悪魔的だからちょうどいいかなと思ったんだ。
音楽CDのリッピング作業は初めてではないのですが、今回は初めてWAVファイルで取り込んでみました。
テンシュテットが761MB、バーンスタインが702MB、カラヤンが744MBでした。
再生ソフトはfoobar2000です。

テンシュテットはEMIの、バーンスタインはCBSのボックスセットのもの。
う~ん、カラヤンもなかなか。

ま、一般的なCD評のほとんどが、脳内に刷り込まれている演奏との比較にすぎません。
最初に気に入ったレコードなりCDは、何度も繰り返し再生され、その演奏が脳内に刷り込まれてしまいます。
だから別のCDの演奏を聴いても、脳内に刷り込まれている演奏との対比でしか把握することができない。
でもね、そういう比較ばかりしていると新しい試みや異なる解釈の演奏が心の中に入ってこなくなってしまいます。
とりあえず刷り込み演奏を頭の中から追い出し先入観なしで聴く、という人生の時期になってきているのではないでしょうか。
古いやつはもう飽きた、新しいものは気に喰わん、という何を聴いても楽しめない頑固なジジイにはなりたくないもん。


2013/12/10

SONY MDR-CD900ST

クリエイティブ社のPremium HDには標準プラグ用のヘッドホン出力が付いています。
ミニプラグ用ではなく標準プラグ用というのが不思議だったのでヘッドホンを試してみました。
うん、これはなかなか。

使用しているヘッドホンはSONY MDR-ZX300です。
2000円ぐらいのもの。
ヘッドホンはほとんど使用していないのですが、Premium HDの音をまともなヘッドホンで聴いてみたくなりました。


サウンドハウスの評価件数順で見つけたのがMDR-CD900ST。
お値段も14380円と高くない。
モニター用のヘッドホンだそうです。

ZX300とは比較になりません。
細かい音がよく出ています。
最初は低音がはっきりしませんが、エージングが進むと改善されてゆきます。
音も装着感も素晴らしく、さすがモニター用というだけはあります。

Premium HDはEAXエフェクトというリバーブを、またfoobar2000は1/2オクターブ、18素子のイコライザーを備えています。
クラシック音楽の場合、浅いエフェクトで空間の広がりを出し、イコライザーで膨らみがちな低域側を少し削ると、ヘッドホンでも結構聴けることが分かりました。



最初に購入したヘッドホンもSONY社のものでした。
DR-7、定価2800円。
コーン型の5cmだったように思います。
装着感が良くないし、カールコードも邪魔でした。

自分用のステレオは、小学校5年生か6年生のころに買ってもらいました。
三洋電機の卓上ステレオで2万円というもの。
その後、おこずかいを貯めて購入したのがスカイセンサー5500A。
たしか中学2年生のころでした。
調べてみると5500Aの発売は1974年なので計算があいます。

DR-7をいつ購入したのか、これは覚えていません。
しかし、スカイセンサーよりも早い時期だったように思います。
スカイセンサーを購入したとき、卓上ステレオやDR-7と並べて悦に入っていたことを覚えているからです。



その後、YAMAHA HP-2を購入しました。
高校生のころだったのかなぁ、よく覚えていません。
これはDR-7に比べると音が断然良く、装着感も素晴らしかったです。
しかし、ヘッドホンは当時からほとんど使いませんでした。

スカイセンサーは秋葉原で買いました。
当時の秋葉原は工作好きにはたまらない街でした。
電子部品をはじめとしてありとあらゆる部品の小さな店が沢山ありました。

小学生のころから秋葉原をぶらぶらし、最初の頃は豆電球や電池ボックス、スイッチなどを買っていました。
部品屋のおじちゃんのアドバイスが面白かったです。
決まったやり方というのはない、工夫することが大切だ、ということも教わりました。

オーディオ雑誌は近所の児童図書館で読んでいました。
そのうち感想などを投稿し掲載されると掲載誌が送られてくることを知ります。
それで編集者が喜びそうな感想を投稿し、無料でオーディオ雑誌を入手していました。

電車通学で銀座線を使用していた小学生や中学生のころは、新橋駅前のダイナミックオーディオで道草をしていました。
当時ニュー新橋ビルの1階に広い店舗があり、JBL4320などを試聴できました。
そのころ興味があったJBLのモニターシステムは、4343でも4350でもなく、 4315でした。
12インチの4ウェイ、クロスのとり方も15インチのシステムとは異なり、この4315の存在が8ウェイの黄色いホーンシステムにつながってゆきます。
JBLも4315を通じて"決まったやり方というのはない"と当時の私に語っていたということです。

オーディオブームのころの秋葉原は、オーディオ店が素人向け、部品屋が玄人向け、というように分かれていたように思います。
オーディオマニアと言っても自作しないのであればメーカーや製品の奴隷みたいなものですからたいしたことはありません、というような話をそういう玄人向けの店で聞きました。
オーディオ雑誌のオーディオ評論は話半分(1/10ぐらいか?)、製品はあまり高価なものを購入せず、DIYでオーディオを気楽かつ気長に楽しむ、というオーディオとの付き合い方は、このころの秋葉原の空気から学んだような気がしています。

その秋葉原は、高校時代の1970年代後半、マイコン(マイクロコンピューター)へシフトし始めます。
80年代になると秋葉原はオーディオからどんどん離れてゆき、こちらも大学の研究室にこもる日々が続き、秋葉原に足が向かなくなりました。

2155Hを購入したヒノオーディオも閉店したそうです。
もう、オーディオを目的に秋葉原に行くこともないでしょう。