2013/12/10

SONY MDR-CD900ST

クリエイティブ社のPremium HDには標準プラグ用のヘッドホン出力が付いています。
ミニプラグ用ではなく標準プラグ用というのが不思議だったのでヘッドホンを試してみました。
うん、これはなかなか。

使用しているヘッドホンはSONY MDR-ZX300です。
2000円ぐらいのもの。
ヘッドホンはほとんど使用していないのですが、Premium HDの音をまともなヘッドホンで聴いてみたくなりました。


サウンドハウスの評価件数順で見つけたのがMDR-CD900ST。
お値段も14380円と高くない。
モニター用のヘッドホンだそうです。

ZX300とは比較になりません。
細かい音がよく出ています。
最初は低音がはっきりしませんが、エージングが進むと改善されてゆきます。
音も装着感も素晴らしく、さすがモニター用というだけはあります。

Premium HDはEAXエフェクトというリバーブを、またfoobar2000は1/2オクターブ、18素子のイコライザーを備えています。
クラシック音楽の場合、浅いエフェクトで空間の広がりを出し、イコライザーで膨らみがちな低域側を少し削ると、ヘッドホンでも結構聴けることが分かりました。



最初に購入したヘッドホンもSONY社のものでした。
DR-7、定価2800円。
コーン型の5cmだったように思います。
装着感が良くないし、カールコードも邪魔でした。

自分用のステレオは、小学校5年生か6年生のころに買ってもらいました。
三洋電機の卓上ステレオで2万円というもの。
その後、おこずかいを貯めて購入したのがスカイセンサー5500A。
たしか中学2年生のころでした。
調べてみると5500Aの発売は1974年なので計算があいます。

DR-7をいつ購入したのか、これは覚えていません。
しかし、スカイセンサーよりも早い時期だったように思います。
スカイセンサーを購入したとき、卓上ステレオやDR-7と並べて悦に入っていたことを覚えているからです。



その後、YAMAHA HP-2を購入しました。
高校生のころだったのかなぁ、よく覚えていません。
これはDR-7に比べると音が断然良く、装着感も素晴らしかったです。
しかし、ヘッドホンは当時からほとんど使いませんでした。

スカイセンサーは秋葉原で買いました。
当時の秋葉原は工作好きにはたまらない街でした。
電子部品をはじめとしてありとあらゆる部品の小さな店が沢山ありました。

小学生のころから秋葉原をぶらぶらし、最初の頃は豆電球や電池ボックス、スイッチなどを買っていました。
部品屋のおじちゃんのアドバイスが面白かったです。
決まったやり方というのはない、工夫することが大切だ、ということも教わりました。

オーディオ雑誌は近所の児童図書館で読んでいました。
そのうち感想などを投稿し掲載されると掲載誌が送られてくることを知ります。
それで編集者が喜びそうな感想を投稿し、無料でオーディオ雑誌を入手していました。

電車通学で銀座線を使用していた小学生や中学生のころは、新橋駅前のダイナミックオーディオで道草をしていました。
当時ニュー新橋ビルの1階に広い店舗があり、JBL4320などを試聴できました。
そのころ興味があったJBLのモニターシステムは、4343でも4350でもなく、 4315でした。
12インチの4ウェイ、クロスのとり方も15インチのシステムとは異なり、この4315の存在が8ウェイの黄色いホーンシステムにつながってゆきます。
JBLも4315を通じて"決まったやり方というのはない"と当時の私に語っていたということです。

オーディオブームのころの秋葉原は、オーディオ店が素人向け、部品屋が玄人向け、というように分かれていたように思います。
オーディオマニアと言っても自作しないのであればメーカーや製品の奴隷みたいなものですからたいしたことはありません、というような話をそういう玄人向けの店で聞きました。
オーディオ雑誌のオーディオ評論は話半分(1/10ぐらいか?)、製品はあまり高価なものを購入せず、DIYでオーディオを気楽かつ気長に楽しむ、というオーディオとの付き合い方は、このころの秋葉原の空気から学んだような気がしています。

その秋葉原は、高校時代の1970年代後半、マイコン(マイクロコンピューター)へシフトし始めます。
80年代になると秋葉原はオーディオからどんどん離れてゆき、こちらも大学の研究室にこもる日々が続き、秋葉原に足が向かなくなりました。

2155Hを購入したヒノオーディオも閉店したそうです。
もう、オーディオを目的に秋葉原に行くこともないでしょう。



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