黄色いホーンシステムにDEQ2496を導入したは昨年の6月。
それまでは安価な騒音計を使用した測定環境だったため100Hz以下の特性を把握することができませんでした。
DEQ2496とECM8000による測定で右chの最低域のレスポンスが異常なほど高いことが判明。
スピーカーやアンプを取り替えてもこの傾向は変わらないので左右非対称の部屋が原因だと思います。
AUTO EQによる自動補正は何度かやり直し、今は落ちついています。
フラットな音、悪くないと思うようになりました。
このフラットな状態をパラメトリックイコライザでいじってみても、結局フラットな音に戻ってしまう。
白ホーンシステム(改造ALTECシステム)にAUTO EQを使用したときはもの足りない感じがしたのですが、これが黄色ホーンシステムだとしっくりくる。
音の厚みが十分あるのでフラットでも聴けるのかもしれません。
それからミッドベース部とウーファー部を密閉化していたのですが、これはもとのバスレフの状態に戻しました。
低域レスポンスを整えるともの足りなくなる。
スピーカーユニットが密閉向きではないからだと思います。
先ほどブルックナーの交響曲第7番をフルボリュームで鳴らしてみました。
コンサートと同じぐらいの音量。
満足しました。
Commented by johannes30w at 2012-04-20 01:49 x
ほほ~
これは聞かせてもらわなくちゃいけませんね
Commented by kiirojbl at 2012-04-20 09:04 x
お近くにいらっしゃったときはよろしくお願いします。
ところでヨハネスさんは自動補正は試されましたか?
Commented by johannes30w at 2012-04-22 01:16 x
自動補正?
試してないな~
Commented by kiirojbl at 2012-04-22 04:58 x
自動補正をするとボーカルとかはダメになりますけど、オーケストラは改善されるように思います。
メモリできるのでそれほど問題はないですし、もしかすると測定マイクの個性によっても音が変わるとか、面白いこともあるかもしれません。
2012/04/20
2012/04/17
DIY Speaker (50)
図面はできました。
でもDIYオーディオは渦巻く混沌。
うまくいくとは限らない。
スリリングです。
左側は水平方向、右側が垂直方向のホーン壁面を示しています。
なお、左側の破線は垂直方向のホーン壁面を参考として示したもの。
DDCHなので2つのホーン壁面が共存し、かつ、滑らかに連続します。
ユザワヤの通販で入手した発泡スチロール製の半球体。
直径20cm。
東急ハンズにカットをお願いしました。
でもDIYオーディオは渦巻く混沌。
うまくいくとは限らない。
スリリングです。
左側は水平方向、右側が垂直方向のホーン壁面を示しています。
なお、左側の破線は垂直方向のホーン壁面を参考として示したもの。
DDCHなので2つのホーン壁面が共存し、かつ、滑らかに連続します。
ユザワヤの通販で入手した発泡スチロール製の半球体。
直径20cm。
東急ハンズにカットをお願いしました。
2012/04/12
Subscription Concert No.732 at Suntory Hall
東京都交響楽団の第732回定期演奏会に行ってきました。
指揮はエリアフ・インバルさん。
ピアノは児玉桃さん。
曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第8番「リュッツォウ」とブルックナーの交響曲第7番。
ピアノ協奏曲はピアノとヴァイオリンの音色が溶け合い、とても美しい演奏でした。
深く豊かな響きも良かった。
モーツァルト聴いちゃったなぁ~という満足感。
いよいよブルックナー。
最初はなんとなく固い印象。
こちらが緊張していたせいもあるかもしれません。
しかし、第3楽章になるとこれは素晴らしかった。
曲が途中で途切れる部分がありますが、聴衆全員が息を凝らして聴き入っているのか、恐ろしいほどの静寂。
都饗会員はマナーがよいらしいのですが、これ程の静寂は初めてでした。
第4楽章はもう圧倒されて、ひたすら感激。
ともかく凄い演奏でした。
ワーグナーテューバも見事。
それから低音を支えたコントラバス、チェロも良かった。
第7番、楽しみにしていた甲斐がありました。
--------------------------------------------------------
コンサートに行くとその交響楽団の月刊誌を渡されます。
「月刊都饗」の4月号、インバルさんがマーラーについて語っている記事がありました。
以下、その抜粋。
「とても面白いことに、マーラーの交響曲は全作品でひとつのまとまりになっていて、それはマーラーの人生そのもの、と言えるのです。彼は交響曲で人生を語っているのですよ。」
「全人生がひとつの小説だとすれば、マーラーの各交響曲は小説の一章ですね。しかしいずれもそれぞれひとつの宇宙をなしており、それもまた人生なのです。」
「マー ラーの交響曲には、彼の"さすらう若者の歌"や"少年の不思議な角笛"といったリートが関連して、その主題が使われたりと共通点が多いですね。ですから、 マーラーの前半の交響曲を"角笛交響曲"とか"リート交響曲"と呼んだりしますが、大きく分けると交響曲第5番までがひとつの区切りでしょう。6番以降は 新たな局面を迎え、音楽のスタイルも創造性も変わります。」
「交響曲第1番巨人は、まさに革命です。ここから現代の音楽が始まったと言え ます。フォルクローレの使い方といい、人生の美しさばかりか醜さ、痛みといった人が避けがたいものまで、すべてを表現しています。新しい音楽スタイルや オーケストレーション、私は初めてこの曲を聴いた時の驚き、まったく未聴の世界がひらけてゆく驚きを今でもよく覚えています。」
「第1楽 章は自然の美、夢、郷愁、自然、愛が表現されています。第2楽章ではプロテストとアイロニーが描かれ、ここでマーラーの人生や理想へのシニカルな態度が表 現されています。第3楽章の中間部など、もう信じられない美しさですね。オーボエの旋律に対してトランペットが嘆きを訴えるところなど、片方の目で笑い、 もう片方の目で泣くといった、嘆きと同時に希望がある。そして終楽章、マーラーの場合だいたいそうなんですが、これは世界の終焉ですね。しかしここでは楽 観主義による勝利が到来します。希望があるのです。」
「この交響曲第1番にはすべてがある。こんなものを書いたらもうこれ以上のものは書けない、と思うのですが、彼は次の交響曲第2番でさらに素晴らしい宇宙、新世界を創造したのです。」
「交 響曲第2番復活にもすべてがあるのです。第1楽章は死者へのセレモニー、素晴らしい葬送行進曲ですね。第2楽章は最も美しい郷愁とロマンティックな表現。 不気味な悪夢を表現した第3楽章のスケルツォに続いて、次の第4楽章原光から希望が、人の希求する理想がうたわれ、そして終楽章では世界の終末との戦い。 そこへ天の救済が現れるというわけです。」
「これが交響曲第3番になりますと、各楽章に希望と美、宇宙の理想的創造が描かれているのです。それぞれの楽章にあるのは、自然や動物、愛への賛歌であり、人生のすべてが深く内包されている。」
「そ して交響曲第4番は、マーラーがしばしば描いた天国と地上、あるいは希望と悪意の狭間といったものを聴くことができるでしょう。第2楽章ではその悪意の醜 さも覗かせますが、次の第3楽章では再び郷愁や心の痛みが信じがたい美しさで表現されていて、これ以上の美は想像できないほどですね。そして第4楽章では また天上の生活、理想的な美しさで終わるというわけです。」
「交響曲第5番は、また新しい宇宙です。マーラーは決してくり返さないので す。各交響曲とも新たな世界として解釈されねばなりませんが、同時にそれら全体でひとつの人生であるということ、マーラーは常に理想への変容を探し求めて いるのです。テーマは愛、醜さ、希望といった同じものですが、それらが常に異なる表現をされているのです。」
「この5番では、第1楽章が 再び巨大な葬送行進曲。第2楽章では前楽章の素材もあちこちで使われ関連づけられ、第3楽章のスケルツォではこれまた人間と悪魔の戦い。第4楽章では不気 味な悪夢、人間の影の部分も表現され、終楽章は疑問符つきの楽観主義への皮肉。一種の勝利が表現されても、そこには疑問符がついているのです。マーラーは 第4楽章の天上の愛のテーマを第5楽章で風刺的に使っているのです。悪魔が愛の妥当性を問いかけるようにね。こうしてマーラーは悪魔的な性格から天上的な 性格まで、人生のすべての観点を音楽で表現しているのです。これは他の作曲家にみられないマーラー独自の凄さなのです。」
なお、第6番悲劇的以降はまたの機会にと、この記事には書かれておりました。
指揮はエリアフ・インバルさん。
ピアノは児玉桃さん。
曲目はモーツァルトのピアノ協奏曲第8番「リュッツォウ」とブルックナーの交響曲第7番。
ピアノ協奏曲はピアノとヴァイオリンの音色が溶け合い、とても美しい演奏でした。
深く豊かな響きも良かった。
モーツァルト聴いちゃったなぁ~という満足感。
いよいよブルックナー。
最初はなんとなく固い印象。
こちらが緊張していたせいもあるかもしれません。
しかし、第3楽章になるとこれは素晴らしかった。
曲が途中で途切れる部分がありますが、聴衆全員が息を凝らして聴き入っているのか、恐ろしいほどの静寂。
都饗会員はマナーがよいらしいのですが、これ程の静寂は初めてでした。
第4楽章はもう圧倒されて、ひたすら感激。
ともかく凄い演奏でした。
ワーグナーテューバも見事。
それから低音を支えたコントラバス、チェロも良かった。
第7番、楽しみにしていた甲斐がありました。
--------------------------------------------------------
コンサートに行くとその交響楽団の月刊誌を渡されます。
「月刊都饗」の4月号、インバルさんがマーラーについて語っている記事がありました。
以下、その抜粋。
「とても面白いことに、マーラーの交響曲は全作品でひとつのまとまりになっていて、それはマーラーの人生そのもの、と言えるのです。彼は交響曲で人生を語っているのですよ。」
「全人生がひとつの小説だとすれば、マーラーの各交響曲は小説の一章ですね。しかしいずれもそれぞれひとつの宇宙をなしており、それもまた人生なのです。」
「マー ラーの交響曲には、彼の"さすらう若者の歌"や"少年の不思議な角笛"といったリートが関連して、その主題が使われたりと共通点が多いですね。ですから、 マーラーの前半の交響曲を"角笛交響曲"とか"リート交響曲"と呼んだりしますが、大きく分けると交響曲第5番までがひとつの区切りでしょう。6番以降は 新たな局面を迎え、音楽のスタイルも創造性も変わります。」
「交響曲第1番巨人は、まさに革命です。ここから現代の音楽が始まったと言え ます。フォルクローレの使い方といい、人生の美しさばかりか醜さ、痛みといった人が避けがたいものまで、すべてを表現しています。新しい音楽スタイルや オーケストレーション、私は初めてこの曲を聴いた時の驚き、まったく未聴の世界がひらけてゆく驚きを今でもよく覚えています。」
「第1楽 章は自然の美、夢、郷愁、自然、愛が表現されています。第2楽章ではプロテストとアイロニーが描かれ、ここでマーラーの人生や理想へのシニカルな態度が表 現されています。第3楽章の中間部など、もう信じられない美しさですね。オーボエの旋律に対してトランペットが嘆きを訴えるところなど、片方の目で笑い、 もう片方の目で泣くといった、嘆きと同時に希望がある。そして終楽章、マーラーの場合だいたいそうなんですが、これは世界の終焉ですね。しかしここでは楽 観主義による勝利が到来します。希望があるのです。」
「この交響曲第1番にはすべてがある。こんなものを書いたらもうこれ以上のものは書けない、と思うのですが、彼は次の交響曲第2番でさらに素晴らしい宇宙、新世界を創造したのです。」
「交 響曲第2番復活にもすべてがあるのです。第1楽章は死者へのセレモニー、素晴らしい葬送行進曲ですね。第2楽章は最も美しい郷愁とロマンティックな表現。 不気味な悪夢を表現した第3楽章のスケルツォに続いて、次の第4楽章原光から希望が、人の希求する理想がうたわれ、そして終楽章では世界の終末との戦い。 そこへ天の救済が現れるというわけです。」
「これが交響曲第3番になりますと、各楽章に希望と美、宇宙の理想的創造が描かれているのです。それぞれの楽章にあるのは、自然や動物、愛への賛歌であり、人生のすべてが深く内包されている。」
「そ して交響曲第4番は、マーラーがしばしば描いた天国と地上、あるいは希望と悪意の狭間といったものを聴くことができるでしょう。第2楽章ではその悪意の醜 さも覗かせますが、次の第3楽章では再び郷愁や心の痛みが信じがたい美しさで表現されていて、これ以上の美は想像できないほどですね。そして第4楽章では また天上の生活、理想的な美しさで終わるというわけです。」
「交響曲第5番は、また新しい宇宙です。マーラーは決してくり返さないので す。各交響曲とも新たな世界として解釈されねばなりませんが、同時にそれら全体でひとつの人生であるということ、マーラーは常に理想への変容を探し求めて いるのです。テーマは愛、醜さ、希望といった同じものですが、それらが常に異なる表現をされているのです。」
「この5番では、第1楽章が 再び巨大な葬送行進曲。第2楽章では前楽章の素材もあちこちで使われ関連づけられ、第3楽章のスケルツォではこれまた人間と悪魔の戦い。第4楽章では不気 味な悪夢、人間の影の部分も表現され、終楽章は疑問符つきの楽観主義への皮肉。一種の勝利が表現されても、そこには疑問符がついているのです。マーラーは 第4楽章の天上の愛のテーマを第5楽章で風刺的に使っているのです。悪魔が愛の妥当性を問いかけるようにね。こうしてマーラーは悪魔的な性格から天上的な 性格まで、人生のすべての観点を音楽で表現しているのです。これは他の作曲家にみられないマーラー独自の凄さなのです。」
なお、第6番悲劇的以降はまたの機会にと、この記事には書かれておりました。
2012/04/09
DIY Speaker (49)
暖かくなってきたのでそろそろ再開しようと思っています。
設計は最終段階ですが、やや迷いがあります。
伸縮性の高いフリース生地と発泡スチロールの半球を発注。
対向する半球状のスロート部を備えています。
PT Progressive Transition WaveguidesのJBL PD5200/95。
こんな具合に作ってみたいと。
設計は最終段階ですが、やや迷いがあります。
伸縮性の高いフリース生地と発泡スチロールの半球を発注。
対向する半球状のスロート部を備えています。
PT Progressive Transition WaveguidesのJBL PD5200/95。
こんな具合に作ってみたいと。
2012/04/05
JBL 2332 and 2352 (8)
1.5インチ径スロートの2352と組合わせるドライバーとして発売されたのが2447H/Jと2451H/Jでした。
1993年頃だと思います。
この2447、2451に先だって1988年に発売されたのが2450H/J。
こちらは2インチ径スロート。
2450はネオジム磁気回路を最初に搭載したドライバーであると共に、フェージングプラグが新しいタイプになったことが特徴です。
そのコヒーレント(整合的な) ウェーブ フェージング プラグについて2450のパンフレットには以下のような記載があります。
"The newly-developed Coherent Wave phasing plug assembly consists of four die-cast annular aperture structures of constant path length to provide in-phase combining of diaphragm output at the driver’s exit.
This optimized configuration allows coherent summation of energy up to much higher frequencies than previous designs, with an attendant increase in perceived high-frequency clarity."
要約すると「4つの環状スリットの音道長を等しくすることによりドライバーの出口で位相の整合を図ることができ、これにより高域側のレスポンスや明瞭さを向上することができる」ということになります。
ところでウェーブガイド理論は1987年10月16日から19日までニューヨークで開催された第83回AES総会で発表されています。
ウェーブガイドホーンはスロート口へ供給される音波が平面波であることが前提となっています。
コンプレッションドライバーの出口から放射されている音波は平面波なのでしょうか?
これについては後日。
JBLの技術者は1987年の冬から実験を開始。
コンプレッションドライバーの出口における音波の放射状態を検証したのだと思います。
ホーンのスロート口付近での音波の拡散状態も。
当然フェージングプラグはコヒーレントウェーブタイプでなければこうした検証はできない。
2450のフェーズプラグはその実証実験用として生まれたのではないか。
そして2450やそのスナウトレスタイプによる検証を通じてJBLはホーンやドライバー全般について見直しを始めた…
5年後に出現した2352、2447、2451は1.5インチスロートというフォーマット変更をもたらした。
これはスロートというドライバーとホーンの結合部とドライバーのフェーズプラグに関するJBLの新たな見解に基づいていた。
このとき多くのオーディオマニアが脱落したが、理解できなかったのだから仕方がない。
残念なことです。
下の画像はTD-4003。
JBLが1.5インチスロートを発表した直後にTADがあわてて発売したドライバー。
当時スナウトレスの意味を理解できなかったのはマニアだけじゃなかった。
1993年頃だと思います。
この2447、2451に先だって1988年に発売されたのが2450H/J。
こちらは2インチ径スロート。
2450はネオジム磁気回路を最初に搭載したドライバーであると共に、フェージングプラグが新しいタイプになったことが特徴です。
そのコヒーレント(整合的な) ウェーブ フェージング プラグについて2450のパンフレットには以下のような記載があります。
"The newly-developed Coherent Wave phasing plug assembly consists of four die-cast annular aperture structures of constant path length to provide in-phase combining of diaphragm output at the driver’s exit.
This optimized configuration allows coherent summation of energy up to much higher frequencies than previous designs, with an attendant increase in perceived high-frequency clarity."
要約すると「4つの環状スリットの音道長を等しくすることによりドライバーの出口で位相の整合を図ることができ、これにより高域側のレスポンスや明瞭さを向上することができる」ということになります。
ところでウェーブガイド理論は1987年10月16日から19日までニューヨークで開催された第83回AES総会で発表されています。
ウェーブガイドホーンはスロート口へ供給される音波が平面波であることが前提となっています。
コンプレッションドライバーの出口から放射されている音波は平面波なのでしょうか?
これについては後日。
JBLの技術者は1987年の冬から実験を開始。
コンプレッションドライバーの出口における音波の放射状態を検証したのだと思います。
ホーンのスロート口付近での音波の拡散状態も。
当然フェージングプラグはコヒーレントウェーブタイプでなければこうした検証はできない。
2450のフェーズプラグはその実証実験用として生まれたのではないか。
そして2450やそのスナウトレスタイプによる検証を通じてJBLはホーンやドライバー全般について見直しを始めた…
5年後に出現した2352、2447、2451は1.5インチスロートというフォーマット変更をもたらした。
これはスロートというドライバーとホーンの結合部とドライバーのフェーズプラグに関するJBLの新たな見解に基づいていた。
このとき多くのオーディオマニアが脱落したが、理解できなかったのだから仕方がない。
残念なことです。
下の画像はTD-4003。
JBLが1.5インチスロートを発表した直後にTADがあわてて発売したドライバー。
当時スナウトレスの意味を理解できなかったのはマニアだけじゃなかった。
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