趣味の遺伝について漱石は、「昔はこんな現象を因果と称えていた。」と書いている。
ドグラマグラでは、おどろおどろしい因縁という感じか。
いずれにせよ、これら小説のテーマは生物学的な遺伝ではない。
まあ、因果でも因縁でも遺伝でも呼び方は何でも良いと思うが、例えば、音楽の才能などはどんな伝わり方をするのだろう。
演奏という行為は、当然のことながら、演奏者の動作と音楽が密接に関連する。
動作という体の動きが含まれている以上、生物としての遺伝情報として伝わりやすいと思う。
そして演奏という行為が必要とする能動的に音楽を理解する力は、これもまた遺伝しやすいだろう。
欧米ではピアノはたいてい両親や祖父母などから教わる。
蓄音機やラジオ等を含むオーディオ装置が普及する前は、買ってきた楽譜を家族で演奏して楽しんでいたという歴史がある。
日本はまだまだ音楽を家庭で演奏して楽しむという文化が浸透していない。
そうした残念な環境で育った者では、ピアノはピアノ教室で教えてもらうものという発想しか出てこない。
家庭内での演奏に無縁な環境では、そもそも音楽の才能など遺伝するわけがない。
やはり子供にピアノを習わせるよりも、まずは親がピアノを弾けるようにすべきであろう。
これは、ピアノ教師による教え方ではなく、親としての教え方を伝えることにもなる。
音楽に関し、子孫に伝わるものは、音楽の範囲にとどまらないような気がする。
ベートーヴェンやモーツァルトの音楽は、美しいヨーロッパの街並みがあったからこそ、という気がする。
何世代もがその街で生涯を送るとすれば、そこで培われた物事のとらえ方は何らかの形で遺伝子に取り込まれるのではないか。
電信柱があたりまえに林立するような雑然とした街なんかで世代交代を繰り返しても、美しい音楽は生まれないのかもしれない。
地方には街の景観に積極的に取組んでいる自治体がある。
地震にも火事にも強い住宅を用いて、美しい街づくりが広がってほしいものである。
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