2025/06/18

DIY ART "Four Eyes Dragon"



龍の絵はまだまだかかるように思うが、峠を越えたような気がしている。
それもあって、やはりここは虎の絵も描くべきではないかとスケッチを描いてみた。
構図もよく出来上がりも期待できそうなので、昨夜、パネルを12枚発注した。
これで四曲一双になる。



D800  24-70  ISO 400  1/100sec  f/8  24mm  hand-held




2025/06/10

DIY ART "Four Eyes Dragon"



ところで、龍というのは想像上の動物というか怪物である。
図説 龍とドラゴンの世界という本には、権力の正当性を証明するための象徴として権力者が龍を利用したと、政治学の授業のような解説があった。
まあ、そんなことはどうでもいい。
画家にとっての問題は龍のディテールである。

京都国立博物館の説明にこんなのがあった。
"紀元前2世紀末の『淮南子(えなんじ)』という書物には、飛龍(ひりゅう)・応龍(おうりゅう)・蛟龍(こうりゅう)・先龍(せんりゅう)がおり、これらからそれぞれ鳥類・獣類・魚類・甲殻類が生まれたとあります。つまり龍はあらゆる動物の祖であり、造物主たる神のような存在であったのです。そのためでしょうか、龍の姿は「九似(きゅうじ)」といって、角は鹿、頭は駱駝(らくだ)、目は鬼、項(うなじ)は蛇、腹は蜃(みずち)、鱗(うろこ)は魚、爪は鷹、掌(たなごころ)は虎、耳は牛に似ていると言われます。まさに人間の創造力のなせる技です。"

とりあえず、耳は描かないとまずいだろう。
耳は牛、とあるが、この牛の耳をネットで色々見てみたが呑気そのもので実につまらない。
好きな曽我蕭白の雲龍図や俵屋宗達の雲龍図屏風を見ても、なんだかなぁというかんじだ。
困ったときは陳容の九龍図巻であるが、段々アホらしくなり、オリジナルでいくことにした。

次は、鱗である。
京都妙心寺の狩野探幽の雲龍図の解説の看板には魚じゃなくて鯉って書いてあったような。
あと、髭はナマズとか書いてなかったか。
しかし、鯉とかナマズとか、そんなもの可愛らしすぎて怪獣の外装としてはお話にならんと思うのだ。
魚類から離れるとワニ、蛇、亀、果てはアルマジロ様やセンザンコウちゃんとか、なんだか訳の分からんのまで出てくるが、やっぱりここはワニじゃないかと。

で、ワニの鱗というのは、一枚一枚の魚のような鱗ではないようだ。
ワニ革の裏側には鱗板骨というのがずらっと並んでいるそうで、非常に硬いのだそうだ。
これなら龍の装甲になりそうだ。
しかし、ネットでワニさんの鱗のお姿を拝見すると、これが四角かったり丸かったりと実に多様な外観を呈しており、胴体、しっぽ、手足でも全然雰囲気が違い、実にやっかいである。
それから、ワニの鱗模様は頭部にほとんど存在せず、つるっとしていることも初めて知った。
結局、鱗問題も段々面倒になり、やっぱりオリジナルでいくことにした。

目玉が4つあるのはちゃんと理由がある。
四つ目の龍は、ティラノサウルス等の獣脚類の頭骨の化石を見て連想した。
これは小学生のころ、そうした化石の頭部に沢山の空洞があるのを見て、これはきっと目玉が沢山あったのかもしれないと思ったからだ。
しかし、昔の龍の絵にこうした四つ目の龍がないことから、龍は獣脚類の化石から連想されたものではないと思う。
おそらく、wikiにあるように大型のワニからの連想だろう。




2025/06/08

Nara and Kyoto



入江氏愛用のカメラの続き。

"ヴェスト ポケット コダック
1912年、イーストマンコダック社より発売され、入江が17歳の頃、長兄より譲り受け、初めて手にしたカメラ。
この1台のカメラが、入江を写真の道へ歩ませる契機となった。
現在、このカメラで撮影されたフィルムや作品は戦災等により失われている。

ローライコード
戦前より使用していた二眼レフカメラ。
1940年の世界移動写真展で一等を受賞した「文楽」のシリーズをはじめ、山岳写真(戦災や焼失)や大和路の撮影をはじめた頃に使用していた。
6x6判で、初期のモノクロ作品の多くをこのカメラで撮影している。

ライカ M3
35ミリの大和路モノクロ作品の多くを撮影したカメラ。
このカメラは、1954年のフォトキナ(ドイツでか開かれる世界映像見本市)に発表され、ファインダー及び距離計が当時のカメラに比べて特に優れており、戦後のライカ黄金時代をもたらしたといわれている。"




なんだ、入江氏もM3でしたか。
カメラバカにつける薬の中で、ライカ警察(特高)とかツァイス信者というのが登場する。
ルールを守るのがマニアの証なのかは知らんが、それで楽しいのかね。
オーディオでも結構いるんだ、ケーサツとか信者とか。
まあ、どうでもいいが、ケーサツや信者を名乗るなら、少なくとも青年期にその製品等がセンセーショナルなデビューを果たし、その熱気を肌で感じつつ、それにムネアツの恋しちゃったって経験がないと認めらんないな、いやまじで。
ライカM3は71年前だから、ケーサツ諸氏が18歳の頃だとすると、そのセーネンはいま89歳ということになる。
(おい、ウェスタンエレクトリックって1930年代ってか。全員あの世幸之助だな。)
だからライカを若いのが語っちゃっても、そりゃ他人の受け売りだよねって、ぜんぜんまったく説得力ないなぁ。




2025/06/06

Nara and Kyoto



入江泰吉記念奈良市写真美術館に展示してあった入江氏愛用のカメラ。
それぞれのカメラについて説明があり、それを書き出してみた。
なお、リンホフに装着されていたレンズはいずれもニコンの大判用。

"ハッセルブラッド 2000FC/M
大和路の風景、伝統行事、万葉の花など幅広く撮影に使用されていたカメラ。
行事や万葉の花など、一度の撮影で多くのフィルムを使用する場合などに使っていた。

リンホフスーパーテヒニカ
主に風景の撮影に使用していた。
リンホフ社製のテヒニカシリーズはリンホフの代名詞ともいえるフィールドカメラで、コンパクトな設計の中に充実の機能を備えていた為、入江をはじめとするプロカメラマンが愛用していた。

リンホフカルダン BI-SYSTEM
奈良大和路の仏像や懐石料理「吉兆」の撮影で使用された。"




新橋や銀座の中古カメラ店めぐりを思い出すなぁ。
こういう雰囲気が好きなんだ。
シノゴには手が届かなかったけどタチハラは魅力的だった。
金具、木の種類、蛇腹の色なんかを選べるから、あれこれ考えていたな。





2025/06/05

Nikon V2



庭の隅に千円の小さなトロ舟を置いた。
野鳥の水浴び用である。
早速やってきたのはガビチョウである。
花桃の枝で長々と羽を乾かしていた。
ベランダの植木鉢を一つ一つ見て回るという妙な行動をとる庭の常連さんである。




V2  70-300  ISO 800  1/125sec  f/5.6  300mm  hand-held


目のあたりに小枝があり、当然AFをまともに合わせることはできない。
足に焦点を合わせて撮影したらうまくいった。




2025/06/03

Nara and Kyoto



入江泰吉記念奈良市写真美術館に収蔵されている東大寺戒壇堂の広目天像である。
正面からのコピーのような撮影は禁止されているので斜め方向から撮影したのであるが、広目天は枠の縁越しにこちらを見据えているような感じがする。
私の中には邪念や邪心が渦巻いているのでおそろしく感じる。




D800  28-300  ISO 1600  1/20sec  f/5  78mm  hand-held