2025/07/20

DIY ART "White Tiger"



日本画の虎図が猫っぽいことについては、福田美術館の円山応挙の虎図の解説が的確である。
"虎は日本には生息しておらず、江戸時代の画家たちは中国や朝鮮から輸入された絵画や毛皮を参考に、また生体としては猫を参考に虎を描きました。
そのためちょっと猫のような虎、「ネコトラ」の絵が多く残っています。
こちらの円山応挙の虎図も瞳が三日月になっていますが、実際の虎の瞳孔は猫と異なり、丸い形のまま収縮して調光するため、このような眼にはなりません。"
応挙の高弟である蘆雪の虎図襖も同様に猫っぽいし、そうしたネコトラ日本画は無数にある。

これは撮影が許されている福田美術館で撮影した蕭白の虎図である。
解説にはこうある。
"横向きに座って体をひねり、こちらへ振り向く虎。
目の上にある眉毛のような白い毛は、中国や朝鮮半島の文物が入ってきた長崎で活躍した画家たちの虎図に見られる特徴です。
曽我蕭白の描く虎は、どこか人間味があり、本作においてもニヤリと笑う表情は楽し気です。"




さて、どうしたものか。
鑑賞ではなく画家として描く立場になると非常に困るのである。
現在では動物園で虎を見ることができ、そんなものをどんなにうまく描いてみても、これはつまらん。
そういうのは絵がうまい奴にまかせればいいのであってわざわざ画家が描く必要はない。
だからと言って、応挙などを真似てみるというのも面白くない。
やはりオリジナリティが無いと描く意味が無かろう。
しかし、オリジナリティを発揮するためには虎に対する独自の見解をはっきりさせる必要がある。




2025/07/16

DIY ART "White Tiger"



四ツ目の黄龍と対峙する白虎を描くことにした。
とりあえず、S10号パネルを12枚用意し、ジェッソを2度塗りした。
サイズは212cmx159cmになり、黄龍のサイズと同じである。
完成後、2つ並べると幅が424cmになるのでこれはかなり見ごたえがあると思う。

ところで、日本画の虎って結構むずかしい。
例えば、これは俵屋宗達の龍虎の掛け軸。




龍は虎をにらんでいるようなのだが、虎は猫よろしく爪などをちょいちょいしている。
だいたい、雲間から出現する龍はかなり大きいはずだからスケール感もだいぶ違う。
こういうちぐはぐな感じを他の日本画からも受けるのである。
まあ、それはともかくとして、この龍虎図は面白い。
実は全く相手にしていない、お前なんぞどうでもいい、という雰囲気がこちらのポリシーと合致するからである。



2025/07/12

VOLVO V40 D4



購入したD4はほぼ9年経過しているとは思えない綺麗な車であった。
メタリックブルーが美しく文句ない。
妻は赤よりもこっちの青の方が好みだそうで、それも良かった。
車内もきれいだし、まあ、走行32000kmだから当然か。

T4SEよりも年式が1年新しいD4は、いろいろと改善されている。
まず、シャシが通常の硬さになり、サスペンションもファミリーカーの常識の範囲内になった。
乗り心地は大幅に改善され、やれやれである。
タイヤは205/50R17から205/55R16となり、最小回転半径が5.2mと小さくなった。
T4SEは5.7mもあり、いい加減にしとけよって感じだったのだ。
ホイールが16インチと小さくなったが、T4SEのガンメタからアルミの地色になって明るくなったせいか、ホイールが小さくなったようには見えない。

エンジンは2000cc4気筒DOHC16バルブ、インタークーラー付きターボ(ディーゼル)である。
パワーは190ps/4250rpm、400Nm/1750-2500rpmもあり、0-100kmは7.2secと絶対的には大したことはないが、これはファミリーカーの範疇を超える。
T4SEは、1600cc4気筒DOHC16バルブ、インタークラー付きターボ(ハイオク)、180ps/5700rpm、240Nm/1600-5000rpm。
やっぱり、日常的な加速ではD4の方がいい。

車重は1540kgとT4SEの1430kgから110kgも増えた。
安全第一、ボルボの辞書には軽量化という軽薄な言葉は載っていないようだ。 
車重の増加は乗り心地にも影響しているだろう。
それからディーゼル音はするが、うるさいわけでもなく、低速低回転ではなんだかゴツイSUVに乗っているようで楽しい。

カーオーディオは一聴して音質が良くなっていた。
まあ、こんなんはどうでもいいが、良くなっているのは大歓迎である。
その他にも運転支援システムの前走車への追随性能などが向上しているように感じた。



2025/07/10

VOLVO V40 D4



妻の足であるボルボV40を買い替えた。
今度はブルーである。





2021年の今頃購入したV40 T4SEは、走行距離23000kmのを購入し、48000kmまで乗った。
今回のV40 D4は2015年式(2016年登録)、走行距離32000kmのワンオーナーものをボルボのディーラーから購入、約130万円であった。
以前、T4SEを2015年式と書いたが、これは2014年式の2015年登録であった。

車の買い替えは、なかなかそのタイミングが難しい。
極端な話、修理してゆけば無限に乗れる。
今回は、T4SEのタイヤ交換やその他の手を入れないといけない箇所を考えると結構金がかかるなぁ、というのが発端だった。

T4SEはとてもファミリーカーとは呼べないようなハードな乗り味であり、その原因はシャシがかなり硬く、サスペンションが締め上げられているからである。
タイヤの50扁平というのもあるかもしれない。
周辺は荒れた道が結構あるので、あんまりうれしくないわけである。



2025/07/06

DIY ART "Four Eyes Dragon"



四つ目の黄龍の完成である。
全体を撮影するには12枚のS10号パネルを連結して組み上げないとダメなのでとりあえず顔の部分だけ。
3枚を壁に立てかけて撮影した。

黄色いホーンシステムの自画像みたいなこともあり、目玉はこれ以外にも4つ描かれており、全部で8ウェイマルチアンプを暗示してみた。
たらし込みの技法を発展させることができたし、龍についてあれこれ想像をめぐらし、描いていて大変面白かった。
次は虎を描こうとも思ったが、こういう"日本むかし話"風のメルヘンチックな世界からはいったん離れ、今度は写実的な作品の方がいいかな。
それとも毒食わば皿まで、このまま突っ走るか。




すぐに組み上げないのは設置場所が未定なのだ。
サイズは212cmx159cmとやたらにデカいし薄暗くなると龍が浮き上がって見え結構怖いので妻が嫌がっているのである。
そしてこういうのはメルヘンとは言わない、と主張するのである。
まあ、DIY巨大スピーカーとかDIY ARTなんかの得体のしれない趣味の最大の被害者は妻ということだ。
申し訳ない。
この他に、パネルの接合方法について新しい方式を試してみたいというのもある。
という訳で、全体の撮影の時期は未定である。



2025/07/03

HONDA CB1000F



この先、オートバイは買わないとは思うのだが、こうしてCB1000Fの情報など入手して画像を眺めている訳だ。
こういうのは物欲のうちに入るのだろうか。
それから、金額。
自分の置かれている状況にしわ寄せがこない範囲で好きなことをやる、ということをわきまえてお買い物をするのなら、物欲とかなんとか、そんなことを言わなくてもいいのではないか。
カメラバカにつける薬の中でローンを組む話が出てくるが、多重債務者みたいなローン地獄にでもならない限り、問題ないような気もする。
もっとも、S550を含め趣味の買い物でローンを組んだことはない。

今の世の中、安物からぶったまげるような値段の物まで様々な商品があり、選択の範囲は無限だ。
で、以前なら安物はダメだったが、中国で様々なものが安価に大量生産できるようになり、品質も向上して、安物でも趣味の目的が達成できるようになった。
カメラなんかスマホの付属物になってしまって実質ゼロ円、それでも十分に写る。
オーディオも似たようなもので、JBL308P Mk2なんて、どうなんだろう、昔の50万円ぐらいのコンポよりも音がいいかもしれない。
こういう状況で、そうしたコスパに優れたものを選ばずもうちょい高価な物を買うというのは物欲が強いということになるのだろうか。
しかし、最低ラインよりも高価なものといっても、べらぼーに高いものでなければ予算や必要性に応じて買い物をしているだけで、物欲が強いとかなんとか、そんな話にはならないだろう。

こんな具合に物欲についてあれころ書いてみたが、やっぱり痛快な人生経験はみな物欲がらみだ。
逆にもし物欲がなかったらと考えると、退屈でつまんねー人生だっただろうな。
物欲に関してそれだけ確認できればまあ満足だ。



2025/07/02

HONDA CB1000F



セーネンのころオートバイ屋のゴツイ親父に真顔で言われたことがある。
"お前、レースでもやんのか?"

ふふふふふ、この一言で悟った訳だ。
人生の中でもありがたい言葉ベストテンには入るね。

レースになると趣味ではなくなるよ、お前のレベルじゃ通用しないからそこいらを走り回るぐらいにしときな、そして、これ以上金をかけようとするな、という警告である。
元レーサーだったバイク屋の親父はこう言いたかったのだろう。

趣味っていうのは、自分の置かれている状況にしわ寄せが来ない範囲で好きなことを好き勝手にやる、好き勝手にやれる、ということだ。
それでその結果がマズかろうとなんだろうと、それは甘んじて受け入れる、そういう自主独立のやり方というか生き方が許されている"御意見無用のかけがえのないフィールド"ということになろう。

他者と争うレースになると、社会的に認められたルールの下に身を置くことになる。
こちらの都合や言い訳でそのルールが変更されることは絶対にない。
草レースなら問題はないが、真剣に他人と頂点を争い始めた瞬間に趣味ではなくなる。
だからこういうのは仕事と同じだ。

レースだけではない。
例えば、オーディオ雑誌の評論家の作ったルールの下でオーディオをやるなんて、こりゃ、最初っから物欲に苦しむためにやるようなものである。
オーディオ評論家なんてのは、どうにかして世間知らずの純朴なセーネンに高額な機材を次から次へと買わせようとしている訳だから、距離を保たないと思考を乗っ取られる、金を吸い取られる、あげく若さという可能性を食い潰すことになる。

これは評論家が狡猾だとか、騙された坊やが愚かとか、そういう話でもない。
実はそういう仕組みに組み入れられることを多くの人間が望んでいるから仕方がないのである。
日本人はこういうのが好きだし、不安になるからか仕組みに入らないのを憎んだりするんだよね。

で、話を戻すと、御意見無用のフィールドで好き勝手にやれば当然失敗を繰り返すわけだが、段々となぜ失敗するのかが分かるようになり、とうとう最後はその道を極めることができるようになる。
人生にはそういう過程を楽しむに十分な時間があるし、自分自身で失敗を重ね散々苦しまないと、まあ、極めることなんかできないだろうよ。
セーネンよ、失敗を恐れるな失敗を繰り返しそこから学べ、自分が自由にできるフィールドを他人に明け渡すな、師匠づらする奴なんか叩き出せ、なのである。

という訳で、オートバイへの物欲は"物欲を制御する術"をこんなふうに教えてくれたのである。



2025/07/01

HONDA CB1000F



ついでだから高級車について少し。
BMW750iLと760Li、それからベンツのS550に乗り継いで分かったことは、これらの車種は世界中で称賛されているだけあって、単に豪華というのではなく車としての完成度が非常に高いというのがよく分かった。
それだけに魅力というか魔力があることは認めよう。
しかし、同時に感じたのは高級車に乗ってもそんなには幸せになれないってこと。
車というのはそういうことより誰と乗るのかという要素の方がはるかにデカいと思う。
楽しく家族と乗れるのであれば、車はなんでもいい。
ちなみに、生活や仕事にどうしても四輪が必要な場合を除き、ひとり者だったなら車には乗らずバイクに乗るな。
やっぱり高級だろうがなんだろうが四輪は四輪、バイクの方が断然楽しい。
まあ、こんな風に考えてしまうのは高級車とは本来的には縁の無いヒトなんだろう。

あと、お医者さんのことだけど、、、こんな風に付け足すべきではないか。
コロナの時は青くなった。
子供が感染して死ぬかもしれないと思ったから。
ちょうど子供が研修医で救急車に同乗していたころだった。
午前中に救急搬送した患者さんが午後亡くなった、と言っていた。
コロナが流行り始めたころは現場は本当に厳しい状況だったみたいで、高齢者は助からない、と言っていた。

思い出すのは早瀬文雄氏のことである。
重症のコロナ肺炎になって亡くなった。
患者さんから感染したとか、そういうことはブログには書いていなかったように思う。
世界中で多くの医療従事者の方がコロナで亡くなったり、後遺症で苦しんでいる。
しかし、そういう話は表に出てこない。
ご家族も含め、そのことを想うと今でも無念な気持ちになる。

医者や研修医の過労死のニュースでもうかがえるように、コロナなどの感染症以外でも大変なご苦労をされている。
それが子供を通してよく分かった。
医者の世界とは無縁と書いたが、自分は高校受験のときに医学部のある東邦大の付属高校に合格した。
中学の担任が勧めてくれたので受験したわけだが、全寮制ということ、まだ医者という進路に絞りたくなかったのと、医者の世界のことを全く知らずイメージが湧かなかったので他の高校へ行った。
まあ、医大付属に行った場合、大変な苦労をすることになったであろう。
医者の日常は、病院での拘束時間が長く、まとまった休暇はとれないし、セクションによっては立ちっぱなしの治療行為が延々と続く場合もある。
これで、ハイエンドオーディオと高級車を手に入れられるにしても、そんなつまらんもんで割に合うのだろうかと、ふと思ってしまう。

職業に貴賎なしというのはその通りだと思う。
しかし、あちこちの寺で薬師如来像を拝見すると、病気やけがの治癒は時代を超えて人々にとっての変わらぬ願いであることがよく分かる。
生まれ変わっても医者にはなれそうもない。