黄色いホーンシステムに似合う音楽の一つがマーラーの交響曲。
共通しているのは巨大であること、複雑な制御、そして斬新な構成。
全てが凍りついた夜に、黄色いホーンシステムの咆哮がマーラーの交響曲の中から悪魔を呼び出す…
マーラーの作品をまとめて聴いてみようと思ったのは、
クリエイティブ社のPremium HDを導入してからです。
コンピューターがCDプレーヤーの代わりになることを実感できました。
黄色いホーンシステムと白ホーンシステム(改造ALTEC)は別々の部屋に置いてあります。
また、マーラーの多数のCDも、それらの部屋に半分ずつ置いてあります。
しかし、どのCDをどっちの部屋に置いたのかを覚えていない…
だからマーラーのCDを1台のノートパソコンにまとめて収容できれば、CDを探し回る手間を省けます。
また、ヨハネスさんがブログでマーラーの3番のような2枚のCDにまたがるような作品をコンピューターに記憶させると連続して聴くことができて具合がよろしいということを書かれていました。
長い曲の場合、曲の途中でCDが終わってしまいます。
2枚組みならあまり問題ないのですが、CDのボックスセットの場合は後半が入っているCDをいちいち探さなくてはなりません。
これが本当に面倒。
というわけでCDのリッピング作業を行いつつ、マーラーの交響曲のまとめ聴き?を行おうと思います。
最初は第5番から。
インバルさんがマーラーの交響曲第5番についてこんなふうに語っています。
「交響曲第5番は、また新しい宇宙です。マーラーは決してくり返さないのです。各交響曲とも新たな世界として解釈されねばなりませんが、同時にそれら全体でひとつの人生であるということ、マーラーは常に理想への変容を探し求めているのです。テーマは愛、醜さ、希望といった同じものですが、それらが常に異なる表現をされているのです。
この5番では、第1楽章が 再び巨大な葬送行進曲。第2楽章では前楽章の素材もあちこちで使われ関連づけられ、第3楽章のスケルツォではこれまた人間と悪魔の戦い。第4楽章では不気味な悪夢、人間の影の部分も表現され、終楽章は疑問符つきの楽観主義への皮肉。一種の勝利が表現されても、そこには疑問符がついているのです。マーラーは 第4楽章の天上の愛のテーマを第5楽章で風刺的に使っているのです。悪魔が愛の妥当性を問いかけるようにね。こうしてマーラーは悪魔的な性格から天上的な 性格まで、人生のすべての観点を音楽で表現しているのです。これは他の作曲家にみられないマーラー独自の凄さなのです。」
インバルさんのような解釈は、できるヒトにはできるし、できないヒトにはできない。
残念ながら後者のヒトなので難しいことは考えず、いつものようにひたすら聴くだけです。
それだけでも十分幸せになれるのでこれで問題ございません。
マーラーの5番のCDは20枚ぐらい持っていますが、とりあえず今回は以下の3枚。
Klaus Tennstedt - London Philharmonic Orchestra 1978
Leonard Bernstein - New York Philharmonic 1963
Herbert von Karajan - Berlin Philharmonic 1978
1枚のCDに納まるマーラーの交響曲の中から5番をリッピング作業のテスト用として選びました。
だってインバルさんが「悪魔悪魔」って連呼するし、黄色いホーンも悪魔的だからちょうどいいかなと思ったんだ。
音楽CDのリッピング作業は初めてではないのですが、今回は初めてWAVファイルで取り込んでみました。
テンシュテットが761MB、バーンスタインが702MB、カラヤンが744MBでした。
再生ソフトはfoobar2000です。
テンシュテットはEMIの、バーンスタインはCBSのボックスセットのもの。
う~ん、カラヤンもなかなか。
ま、一般的なCD評のほとんどが、脳内に刷り込まれている演奏との比較にすぎません。
最初に気に入ったレコードなりCDは、何度も繰り返し再生され、その演奏が脳内に刷り込まれてしまいます。
だから別のCDの演奏を聴いても、脳内に刷り込まれている演奏との対比でしか把握することができない。
でもね、そういう比較ばかりしていると新しい試みや異なる解釈の演奏が心の中に入ってこなくなってしまいます。
とりあえず刷り込み演奏を頭の中から追い出し先入観なしで聴く、という人生の時期になってきているのではないでしょうか。
古いやつはもう飽きた、新しいものは気に喰わん、という何を聴いても楽しめない頑固なジジイにはなりたくないもん。