2025/07/03

HONDA CB1000F



この先、オートバイは買わないとは思うのだが、こうしてCB1000Fの情報など入手して画像を眺めている訳だ。
こういうのは物欲のうちに入るのだろうか。
それから、金額。
自分の置かれている状況にしわ寄せがこない範囲で好きなことをやる、ということをわきまえてお買い物をするのなら、物欲とかなんとか、そんなことを言わなくてもいいのではないか。
カメラバカにつける薬の中でローンを組む話が出てくるが、多重債務者みたいなローン地獄にでもならない限り、問題ないような気もする。
もっとも、S550を含め趣味の買い物でローンを組んだことはない。

今の世の中、安物からぶったまげるような値段の物まで様々な商品があり、選択の範囲は無限だ。
で、以前なら安物はダメだったが、中国で様々なものが安価に大量生産できるようになり、品質も向上して、安物でも趣味の目的が達成できるようになった。
カメラなんかスマホの付属物になってしまって実質ゼロ円、それでも十分に写る。
オーディオも似たようなもので、JBL308P Mk2なんて、どうなんだろう、昔の50万円ぐらいのコンポよりも音がいいかもしれない。
こういう状況で、そうしたコスパに優れたものを選ばずもうちょい高価な物を買うというのは物欲が強いということになるのだろうか。
しかし、最低ラインよりも高価なものといっても、べらぼーに高いものでなければ予算や必要性に応じて買い物をしているだけで、物欲が強いとかなんとか、そんな話にはならないだろう。

こんな具合に物欲についてあれころ書いてみたが、やっぱり痛快な人生経験はみな物欲がらみだ。
逆にもし物欲がなかったらと考えると、退屈でつまんねー人生だっただろうな。
物欲に関してそれだけ確認できればまあ満足だ。



2025/07/02

HONDA CB1000F



セーネンのころオートバイ屋のゴツイ親父に真顔で言われたことがある。
"お前、レースでもやんのか?"

ふふふふふ、この一言で悟った訳だ。
人生の中でもありがたい言葉ベストテンには入るね。

レースになると趣味ではなくなるよ、お前のレベルじゃ通用しないからそこいらを走り回るぐらいにしときな、そして、これ以上金をかけようとするな、という警告である。
元レーサーだったバイク屋の親父はこう言いたかったのだろう。

趣味っていうのは、自分の置かれている状況にしわ寄せが来ない範囲で好きなことを好き勝手にやる、好き勝手にやれる、ということだ。
それでその結果がマズかろうとなんだろうと、それは甘んじて受け入れる、そういう自主独立のやり方というか生き方が許されている"御意見無用のかけがえのないフィールド"ということになろう。

他者と争うレースになると、社会的に認められたルールの下に身を置くことになる。
こちらの都合や言い訳でそのルールが変更されることは絶対にない。
草レースなら問題はないが、真剣に他人と頂点を争い始めた瞬間に趣味ではなくなる。
だからこういうのは仕事と同じだ。

レースだけではない。
例えば、オーディオ雑誌の評論家の作ったルールの下でオーディオをやるなんて、こりゃ、最初っから物欲に苦しむためにやるようなものである。
オーディオ評論家なんてのは、どうにかして世間知らずの純朴なセーネンに高額な機材を次から次へと買わせようとしている訳だから、距離を保たないと思考を乗っ取られる、金を吸い取られる、あげく若さという可能性を食い潰すことになる。

これは評論家が狡猾だとか、騙された坊やが愚かとか、そういう話でもない。
実はそういう仕組みに組み入れられることを多くの人間が望んでいるから仕方がないのである。
日本人はこういうのが好きだし、不安になるからか仕組みに入らないのを憎んだりするんだよね。

で、話を戻すと、御意見無用のフィールドで好き勝手にやれば当然失敗を繰り返すわけだが、段々となぜ失敗するのかが分かるようになり、とうとう最後はその道を極めることができるようになる。
人生にはそういう過程を楽しむに十分な時間があるし、自分自身で失敗を重ね散々苦しまないと、まあ、極めることなんかできないだろうよ。
セーネンよ、失敗を恐れるな失敗を繰り返しそこから学べ、自分が自由にできるフィールドを他人に明け渡すな、師匠づらする奴なんか叩き出せ、なのである。

という訳で、オートバイへの物欲は"物欲を制御する術"をこんなふうに教えてくれたのである。