2025/09/19

1975



それからセパレートアンプも凄かったな。
ヤマハC1なんか、もはや自作アンプではどうしようもない領域に突入していた。
それからラックスM6000、驚愕のデカさで度肝を抜かれたな。

こんなふうに1975年を振り返ってみると結構な機種が揃っていたことが分かる。
技術的には完成の域にあり、性能も十分以上であった。
高度成長期の国内の大手電気メーカーが頑張っていたから品質も確かだ。
製品の背面に貼られたPASSEDのシールがその自信をあらわしていた。

今度は、その後の展開から1975年を考えてみよう。
1975年以降の数年間はその市場規模がどんどん拡大するが、オーディオ製品全体としては特徴的な変化が現れる。
マンネリ化、である。
ごく一部を除き1975年以前の製品の焼き直しとパクリの機種ばかりになってゆくのである。
新たな発想は出尽くしており、価格は上昇すれど中身は変わらず。
それを何とかしようと新機能や新技術が喧伝されていたが、オーディオ的な斬新さを感じさせるものは無かったな。
ちなみにごく一部の例としては1976年にデビューしたマイクロのDDX-1000であり、それ以外はちょっと思いつかない。

1975年がジュラ紀最盛期とするならば、滅びの白亜紀到来はCD出現で始まる。
CD時代に入り影響を受けたのはアンプかな。
トーンコントロールが無いアンプが出現した。
元はと言えばRIAAカーブに準拠していないレコードに対応するために、1kHzを中心にした低音と高音のトーンコントロールがアンプに備わっていた。
CD時代になるとその必要性は失われた。
しかし、本当のところはCDがもたらした劇的な音質の向上が原因じゃないかな。
それから音質の向上はスピーカーの小型化も促した。
反面、オーディオの萌え要素や操作する楽しさはかなり損なわれてしまったとも思う。

でまあ、その後はオーディオ市場は急速に縮小し、数ある趣味の中でも根暗の趣味に分類され、オーディオ製品が売れないどころか国内メーカーがどんどん倒産していった。
売るものが無くなると業界は食っていけないので、アクセサリー、ハイエンド、ビンテージの三大潮流が出現する。
しかしまあ、三大潮流は大袈裟だな、どこか滑稽で色物みたいな雰囲気もあるし。
どうなるのか分からないが、消え去った後にやっぱり小さな沼だったかということにならなければいいが。



2025/09/16

1975



1975年のオーディオ事情を振り返ってみよう。

レコードプレーヤーは、ダイレクトドライブ全盛期だった。
1970年にテクニクスのSP10が発売され、ベルトやアイドラードライブはあっと言う間に駆逐されたな。
オーディオ雑誌の特集でデンオンのDP3000(1972年)のターンテーブルが重いの軽いのと、菅野沖彦と長岡鉄男の両氏が言い争っていたのが印象的で覚えている。
若いというか何というか。
1975年というとソリッド5もこのころだったか。
すでにアンチダイレクトドライブの先兵が出現していたのであった。

アンプはトランジスタになり、新型が出るたびに出力が上昇、大げさ化がどんどん進んだ。
トランジスタやトランスの数が増え、御立派なヒートシンク、ギンギラのフロントパネルと、まあ、今でもそういうセンスのままか。
追いやられた真空管アンプというと完成品なら何故か人気があったSQ38FD、あとはラックスキットとか、出力菅はお好みで選ぶようなパーツセットがあった。
しかし、こうしたキットなどを取扱う店は小さく少なかった。
で、トランジスタアンプは1975年当時すでに完成の域にあり、A級/AB級アンプの元祖ヤマハCA1000、V-FETアンプのソニーTA8650、優美なデザインのラックスL100とバリエーションも豊かだった。
売れていたのはSA8800だったな。
燦然と輝くあのバランスリング、まぶしかったなぁ。

スピーカーは、ダイヤトーンDS301(303)やパイオニアCS3000(A)が絢爛豪華なスピーカーユニットを備えた大型ブックシェルフスタイルを確立し、1974年にヤマハNS1000M、1975年にテクニクス7、翌年にソニーのSS-G7が登場して盛り上がった。
ヒットしていたのはDS28Bだった。
あか抜けした抜群のルックスが受けていた。
結局、このあたりが国産のピークだったな。

日陰者になった海外製のベルトやアイドラードライブは、中古でもガラスケースで大切に展示されていた機種と、段ボール箱に放り込まれていた機種に分かれていて、そういった取扱いの差を見るのも一興であった。
真空管アンプも同じ。
マランツの7や9、あとマッキントッシュ275は、当時でも人気があったが、まあ、その他と言えば捨て値だったな。