伊豆の韮山反射炉に行ってきた。
18ポンド砲を44門製造し、試射で破壊されず完成したのはたったの4門だったそうだ。
江川英龍の江川邸で詳しい話を聞いた。
すでに西洋で陳腐化した反射炉という技術を用いて大砲を製造しようとしたがうまくいかず、まともな大砲を作ることができなかった。
この反射炉は日本の重工業の基礎になったという話だが、そうではなく、当時の日本の技術力だけでは西洋に対抗できないことを証明しただけに過ぎない。
鎖国の弊害である。
明治になって外国人技術者を多数用いたのは、この失敗があったからこそという感想を持った。