芥川龍之介の芋粥を読んだ。
青空文庫である。
芥川は苦手で読んでもよく分からないという印象があった。
それで青空文庫で読み直してみることにしたのである。
青空文庫に掲載されている芥川の作品は378ある。
芋粥などの代表作は中学生ぐらいの時に読んでいるはずであり、また、大学生のころにも読んでいるはずなのだが、当時はなんだか意味が分からなかった。
実は、今回もよく分からなかった。
なにより芋粥を飲む狐には面喰った。
最後の記述「しかし、同時に又、芋粥に飽きたいと云ふ慾望を、唯一人大事に守つてゐた、幸福な彼である。――彼は、この上芋粥を飲まずにすむと云ふ安心と共に、満面の汗が次第に、鼻の先から、乾いてゆくのを感じた。」
これから察するに、あこがれているうちが華、ということなんだろう。
しかし、そういうことなんだろうか?
豪快な芋粥の調理現場を見たとき、なぜ、五位は狂喜しなかったのか。
結局、ここで驚愕しつつも狂喜できないような器の狭い男だからああいう境遇の人になってしまったのだろうと思う。
一方、利仁もどうかと思う。
ユーモアがあるのはよいのだが、五位なんて相手にしてもつまらんと思う。
まあ、坊ちゃんというか、暇つぶしなんだろうな。
この作品は1916年に書かれている。
芥川は1892年の生まれだから24歳のときの作品だ。
あこがれていたものが手に入った後に、そこからさらに別の世界が広がっていることに気づいていたのかは、この作品からは伺えない。
なにはともあれ、好きなだけ努力や苦労をして手に入れないと始まらない。
手に入れたのなら放り出さず、それを味わい尽くす。
そしてさらに踏み込んでゆく。
こういう覚悟がないとどうにもならないように、思うな。
0 件のコメント:
コメントを投稿