2025/09/28

CELESTION TSQ2145



英国セレッションが設立100周年を記念して作り上げたのがTen Squaredシリーズのプロ用ウーファーである。
その中でも最初に発売されたのがTSQ2145とTSQ1845だった。
最近、フラッグシップのTSQ2460も発売された。
このシリーズのスピーカーユニットは10個の技術的特徴を持ち、その中の一つがロボット支援生産ラインを使用した英国での製造である。




こちらはCelestion社の歴史。
スピーカーユニットの組み立ては、こんな具合にずらっと工員さんが並んで組み上げていた。
現在、Celestion社はKEF社と同じ企業グループに所属している。








2025/09/24

YAMAHA CP88



カワイMP9500とヤマハCP4 STAGEを退役させ、ヤマハCP88を購入した。
サウンドハウスで273800円(27380ポイント付)、譜面台YMR-04が8440円(高けえよ)だった。
MP9500は21年使用し各部に不具合があり、また、CP4も10年使用し一部鍵盤から音が出なくなってしまった。
弾き過ぎというのもあるが、CP4はちょっとモロいんじゃないのヤマハさん。




今回は機材の老朽化という消極的な理由で購入しているので、CP88に特に思い入れがあるわけではない。
CP88の評判は良く、鍵盤が軽くて手や肘の負担が小さい、それからヤマハとしては初めてスタインウェイ(Hamburg Piano)のサンプリングを搭載したということである。
弾いてみると鍵盤はもっと軽くてもいいと思った。
スタインウェイの音源はフルコンやスタジオ用など何種類も持っているのでそれ自体は珍しいものではないが、結局、スタインウェイが一番弾きやすく、実際一番よく弾く。
まあ、ヤマハ、ベーゼンドルファー、スタインウェイがメーカーのサンプリングで揃うのだから大したものだ。

操作系は一新されたものの、やっぱりステージピアノは全体のカッコいいイメージが大事。
ただでさえキーボードは地味だからねぇ。
そういう意味では渋いというか、印象が薄く今一つインパクトがないな。
仕上げは良く、金属パネルでCP4よりは断然いいが、MP9500みたいな重厚感はない。
まあ、時代が違うんだからしょうがない。
次回作はもっと気張ってね。



2025/09/21

1975



当時のことを思い出すのは楽しいものだ。
そう言えば、大口径ボイスコイルのスピーカーユニットもあったなぁ。
ローディのHS500のウーファーは20cm口径なのにボイスコイル径は10cmもあった。
単品で販売されていたが、20cmとしてはちと高い、そしてちょっとダサいのでなんとなく敬遠気味だった。
それからテクニクスのSB1000、30cmウーファーでボイスコイル径は10cmだった。
これは大したことないか。
あと、ソニーのSS8150だ。
こいつも30cmウーファーなんだけどボイスコイル径はなんと16㎝もあったのでおじゃる。
まあ、ボイスコイル径がデカいのは男のロマンなんだけど、高域側の特性は当然よろしくなくなる。
HS500はホーンツィーターとの2ウェイ、SB1000とSS8150のミッドはドームの4cmぐらいと、どうなんだろうねぇという感じだ。
ローディは1975年にメタルコーンのHS400で仕切り直し、テクニクスはSB7000、ソニーはSS-G7に変った訳だけど、やっぱりというか何というか。

当時のオーディオを取り巻く状況も書いておこう。
1975年当時は音楽事情も活気があり、オーディオもその波に乗った。
不思議なことに音楽が身近に感じられたというか、変な言い方かもしれないが多くの人が音楽に支えられていたような、そんな感じがしてた。
それから、一億総中流意識というように所得も上昇し、生活に余裕ができて新しいことを始めたいという機運があった。
そしてそこそこの値段で贅沢な感じの物を買ってみたいという要求があって、そこにオーディオはぴったりはまり込んだわけだ。
こういう訳で当時のオーディオは絶好の社会的環境に恵まれ猛烈な勢いを得る。
それはまさに燎原の火のごとくである。
1975年から50年もたった訳だが、製品の記憶はそんなに昔のこととは思えない。
しかし、こうしたオーディオを取巻く状況というのは、ずいぶん変わったな。

ところで、工夫すると音が変わる、これは興味深いことである、というのがオーディオの原点だと思う。
1975年のオーディオは、こういう工夫する心からはだいぶ離れた感じになっていたな。
機材と機材の組み合わせ方、それこそがオーディオって感じになっていった。
そしてグレードアップという雑誌の掛け声の下で着せ替えオーディオが奨励されていたな。
その後遺症はネット時代になっても残っていて毎週のように機材を交換する評論家気取りの変なのがいたが、あれは何だったんだろう。
一方、スピーカーの自作派は、スピーカーユニットという部品の組み合わせから音を作るわけで、昔の秋葉原の薄暗がりの世界を生きているように思う。
だから、着せ替えオーディオ派と自作スピーカー派は、見ているオーディオの景色が違うんじゃないかと、以前から気にはなっていた。
こういうオーディオ世界観の分岐点がはっきりしたのが1975年だったということで、これを今回の結論とさせていただこう。



2025/09/19

1975



それからセパレートアンプも凄かったな。
ヤマハC1なんか、もはや自作アンプではどうしようもない領域に突入していた。
それからラックスM6000、驚愕のデカさで度肝を抜かれたな。

こんなふうに1975年を振り返ってみると結構な機種が揃っていたことが分かる。
技術的には完成の域にあり、性能も十分以上であった。
高度成長期の国内の大手電気メーカーが頑張っていたから品質も確かだ。
製品の背面に貼られたPASSEDのシールがその自信をあらわしていた。

今度は、その後の展開から1975年を考えてみよう。
1975年以降の数年間はその市場規模がどんどん拡大するが、オーディオ製品全体としては特徴的な変化が現れる。
マンネリ化、である。
ごく一部を除き1975年以前の製品の焼き直しとパクリの機種ばかりになってゆくのである。
新たな発想は出尽くしており、価格は上昇すれど中身は変わらず。
それを何とかしようと新機能や新技術が喧伝されていたが、オーディオ的な斬新さを感じさせるものは無かったな。
ちなみにごく一部の例としては1976年にデビューしたマイクロのDDX-1000であり、それ以外はちょっと思いつかない。

1975年がジュラ紀最盛期とするならば、滅びの白亜紀到来はCD出現で始まる。
CD時代に入り影響を受けたのはアンプかな。
トーンコントロールが無いアンプが出現した。
元はと言えばRIAAカーブに準拠していないレコードに対応するために、1kHzを中心にした低音と高音のトーンコントロールがアンプに備わっていた。
CD時代になるとその必要性は失われた。
しかし、本当のところはCDがもたらした劇的な音質の向上が原因じゃないかな。
それから音質の向上はスピーカーの小型化も促した。
反面、オーディオの萌え要素や操作する楽しさはかなり損なわれてしまったとも思う。

でまあ、その後はオーディオ市場は急速に縮小し、数ある趣味の中でも根暗の趣味に分類され、オーディオ製品が売れないどころか国内メーカーがどんどん倒産していった。
売るものが無くなると業界は食っていけないので、アクセサリー、ハイエンド、ビンテージの三大潮流が出現する。
しかしまあ、三大潮流は大袈裟だな、どこか滑稽で色物みたいな雰囲気もあるし。
どうなるのか分からないが、消え去った後にやっぱり小さな沼だったかということにならなければいいが。



2025/09/16

1975



1975年のオーディオ事情を振り返ってみよう。

レコードプレーヤーは、ダイレクトドライブ全盛期だった。
1970年にテクニクスのSP10が発売され、ベルトやアイドラードライブはあっと言う間に駆逐されたな。
オーディオ雑誌の特集でデンオンのDP3000(1972年)のターンテーブルが重いの軽いのと、菅野沖彦と長岡鉄男の両氏が言い争っていたのが印象的で覚えている。
若いというか何というか。
1975年というとソリッド5もこのころだったか。
すでにアンチダイレクトドライブの先兵が出現していたのであった。

アンプはトランジスタになり、新型が出るたびに出力が上昇、大げさ化がどんどん進んだ。
トランジスタやトランスの数が増え、御立派なヒートシンク、ギンギラのフロントパネルと、まあ、今でもそういうセンスのままか。
追いやられた真空管アンプというと完成品なら何故か人気があったSQ38FD、あとはラックスキットとか、出力菅はお好みで選ぶようなパーツセットがあった。
しかし、こうしたキットなどを取扱う店は小さく少なかった。
で、トランジスタアンプは1975年当時すでに完成の域にあり、A級/AB級アンプの元祖ヤマハCA1000、V-FETアンプのソニーTA8650、優美なデザインのラックスL100とバリエーションも豊かだった。
売れていたのはSA8800だったな。
燦然と輝くあのバランスリング、まぶしかったなぁ。

スピーカーは、ダイヤトーンDS301(303)やパイオニアCS3000(A)が絢爛豪華なスピーカーユニットを備えた大型ブックシェルフスタイルを確立し、1974年にヤマハNS1000M、1975年にテクニクス7、翌年にソニーのSS-G7が登場して盛り上がった。
ヒットしていたのはDS28Bだった。
あか抜けした抜群のルックスが受けていた。
結局、このあたりが国産のピークだったな。

日陰者になった海外製のベルトやアイドラードライブは、中古でもガラスケースで大切に展示されていた機種と、段ボール箱に放り込まれていた機種に分かれていて、そういった取扱いの差を見るのも一興であった。
真空管アンプも同じ。
マランツの7や9、あとマッキントッシュ275は、当時でも人気があったが、まあ、その他と言えば捨て値だったな。



2025/09/14

1975



以前書いたように1970年ごろから秋葉原をぶらついており、ごく自然に1971年からオーディオに興味を持ったわけだ。
しかし、オーディオ製品を眺めているだけであって、みょうちくりんな物を作るために財布の中身と相談しながら電気部品をあれこれ購入していたのが実情である。
みょうちくりんな物とは、スイッチを入れると光ったり動いたりといったものなのだが、やたらと複雑でまともに動作せず、あるいは試験してみると崩壊し、ずいぶん熱心に格闘していたな。

当時の秋葉原では家電店がどんどん増え、店の片隅にコンポーネントを置く部品屋も見かけるようになっていた。
始めは何とも思わなかったのだが、1975年ぐらいになるとさすがにこれは増えすぎだろうというか、秋葉原の電気部品屋の街という雰囲気がかなり失われていることに気づいたのである。
オーディオ製品というより電気部品の一種という捉え方をしていたスピーカーユニットの新型が1975年晩秋のオーディオフェアで発表されなかったのは、上記の秋葉原事情とあいまってイラナイ子宣言されちゃったみたい(いや、すでに自作派の時代は過ぎ去りイラナイ子になっていたのだと思う)で、だから、かなり不満だったのだ。
まあ、いつまでも続くというのは贅沢の極みというか、不可能というか、そういうことが飲み込めていなかったのだから仕方がない。

まあ、このころのイヤ~な雰囲気は、菅野沖彦氏のこの文章からも感じ取れる。
菅野氏も面白くないと思っていたにちがいない。
カラーテレビのくだりがおもしろい。

当時のオーディオ評論家は、おそらく全員、貧相な自作アンプと残念なスピーカーユニットの自作スピーカーで一人ひっそりと楽しんだ経験を持っている。
オーディオと呼ばれる以前のその世界は、ラジオとか無線機材から派生したものであって、秋葉原でも当然多数派ではなく、駅前の闇市の名残のような薄暗がりの露店、ラジオ会館の小さな店、そういうところに紛れるように存在していた。
実際、1970年代初頭には、まだそうした雰囲気が残っていたのである。

当時のオーディオ評論家に人気があったのは、そうした暗中模索時代に身につけた経験や工夫、新しいものに取り組む冒険心、それから貧乏ゆえの憧れや散々苦労してやっと入手したときの喜びが彼らの言葉の中に感じられたからなんだろう。
なんでもポチッとすれば手に入る現在では、まるで手が届かない世界である。



2025/09/12

1975



今年、2025年は昭和100年ということだそうだ。
そして、この昭和の戦争の記憶を後世に伝えなければならないとテレビが言っていた。
ま、そうは言っても戦後生まれだから戦争の記憶などあるはずもなく、伝えられそうな記憶としては50年前の記憶になろう。

50年前、そう、1975年は女の子達に妙にモテ始めた年でもありました、うはは。
おっとこれは失礼、オーディオフェアに初めて行ったのが1975年だった。
五反田のTOC東京卸売センター、その1階の広いブースというかフロアでデビューしたてのダイヤトーンのDS38BとDS50Cが景気よく鳴っていた。
外は夕方、寒い雨。

確認のため調べてみるとオーディオフェアではなく"全日本オーディオフェア"が正式名称で、"全日本"がくっついているところが当時の一億総中流意識の一体感のあらわれか。
また、翌1976年からは増えすぎた入場者数に対応するため晴海で開催されるようになったそうである。
そして、寒い雨というのは季節柄というのもあるのだが、気持ちが寒いっていうのもあったな。
これははっきりと覚えている。

なんのことはない、せっかく出向いたのに新型スピーカーユニットの発表が無かったのである。
いや、いくつかはあったのかもしれないが、各メーカーから発表された新型スピーカーシステムの華々しさに比肩するようなものは一切無かった。
そう、スピーカーユニットで商売する時代は過ぎ去っていたのである。
当時はそんなこと分からないから、音は良かったがちょい地味だったDS36BRから一新したDS38BとDS50Cのピカッとしたアルミフレームのスピーカーユニットをなぜ単品で販売してくれないのかと、少し恨めしい気持ちで雨の中をとぼとぼと帰った。



2025/09/08

Nikon D7100



昨夜は皆既月食。
三脚をベランダに持ち出して撮影してみた。
皆既月食の赤は何とも言えない神秘的な美しさがある。




D7100  Sigma 150-600  ISO 1600  1/5sec  f/6.3  500mm  tripod




2025/09/07

Behringer A800



で、夏休み大作戦、結局どうなのよってことだが、いやぁ、やってみるもんだね、これがまた素晴らしい音になった。
A500からA800になって音質が改善されたことは知っていたが、全体の音のクオリティが段違いに向上した。
明らかに見通しが良くなったというか、より鮮明になった。

オートGEQの作業後、低域のレベル調整を聴感でやり直し、PEQを8素子使って全体をちょいちょい補正して整えた。
薄かった低音が息を吹き返し、ビシッとしまっていて、それでいてヘビー級のパンチ力。
音響空間は澄み渡り、そして何より全ての音の実在感が凄い。
こうして微細な音も漏らさず再現し、これぞ7ウェイマルチアンプの本領発揮という感じになった。
オーケストラは時としてこのモニタースピーカーを巨大な野獣に変貌させ、狂喜乱舞である。

A800、なかなかいいアンプかもしれない。
そこそこ発熱するし、音に変なクセがある訳でもなく、アナログアンプと変わらない。
初めてのデジアンなので冷徹な奴かもしんないと少し身構えていたが、これなら仲良くやれそうだ。




このDIYホーンシステムは、黄色いホーンシステムや改造ALTECシステムとは毛色の異なるシステムなんだ。
ホーンは自ら設計し製作しているからね。
コンプレッションドライバー用の定指向性大型ホーンの設計と製作はオーディオ技術において最難関であり、良識あるマニアならパスする案件であろう。

その昔、JBL Professionalのスピーカーユニット群が出現し始めたころ、その中に2397ホーンがあった。
スロートは別売だったので、えっへっへこれなら作れるぜ、って思ったわけだ。
これがホーンの自作を考えた最初だった。
その後、2360Aを入手して定指向性大型ホーンの世界を知り、コイツはとんでもねぇと仰天、それから使いこなしの難しさを通じて奥深さを知り、魅力というか魔力にとりつかれた。
で、それで満足しておればよいものの、ホーンの自作の夢は捨てきれない。
作ること自体はさておき、苦労して作ったとしてもそれでいい音を得られるかどうかはかなり怪しい。
というかほとんど不可能であろうということは重々承知していたのだが、それでも手を出したわけだ。

DIYホーンシステムの2451H用の大型ホーンを製作しそれを最初に聴いた時、おっ、これは失敗ではないかもしれないと思った。
ホーンの周囲をゆっくり移動したり、高さを少しずつずらして聴いたりして音の変化を注意深く観察した。
ダメなホーンは、これをやればすぐ分かる。
この指向性の問題は、位相という時間要素と同じぐらい音を気持ち悪くする要素なんだ。
まあ、プロオーディオの歴史の中でも多くの優秀な技術者が力を注いできた重要な問題の一つだからね。
話を戻すと、そうした恐れていた変な感じはしないので、次いで測定してみると、典型的な定指向性ホーンの周波数特性、それもとても美しいカーブを確認できたので心底驚いた。
これは奇跡だと思った。

"2397ホーン自作のたくらみ"以来の情熱が溜まりにたまって昇華し、あとは知恵と力技で虚仮の一念岩をも通す、そういう長い長い物語が今回の音に結実した訳だ。
ホント、やってみるもんだね。



2025/09/03

Behringer A800



1オクターブあたり1dB減衰するということは、20Hzから20kHzの10オクターブで10dBも減衰するわけで、以前からこれは減衰量が多すぎると思い避けてきた。
普通の部屋の場合、どうだろう、その半分の5dBからせいぜい7dB程度ではなかろうか。
しかし気持ちに余裕が出てきたというか、10dB落ちの音も一度は聴いてみようではないかと、やってみた訳である。
ところが、DEQ2496のオートGEQのグラフ画面を見ていると、5dB程度の傾斜にしか見えない。
ちなみにDEQ2496は最近購入したものであり、V3.0である。
最初のキャリブレーションの傾斜度合はPEQで調整してゆく段階でどうでもよくなるのだが、このDEQ2496のROOM CORR.の素のバランスは悪くない。
フツーの音量だと低域が薄く感じるが、比較的大音量で聴いてみるとこれは実にモニターサウンドである。

そうそう、以前紹介したハーマンのターゲットカーブ、その後、このAESの論文を読み、どういう話から出てきたカーブなのかが分かった。
この論文でも破線が邪魔して不鮮明だったので、図22(d)の破線を消してみた。
特徴的なのは低音をクリアにするために150Hzから300Hzあたりがしっかりカットされている点である。
全体的なバランスとしては7dB落ちぐらいではないか。
65Hzあたりもちょいとブーストしてあるが、これなんか全体の音の太さが増すんだよね、ほほえまし。
このカーブから色々なヒントをもらったし、それまでの自分のカーブもそう悪くないことが分かった。
それから、PEQで10素子を使うような細かな調整もプロの世界では当たり前なのかもしれない。
まあ、プロの世界云々はさておき、研鑽を積み重ね各周波数と音の変化の関係をつかんでゆく楽しさはEQの世界の醍醐味だね。


この論文にはJBL ProfessionalのM2も出てくるので、この"The all listeners preference curve"が製品に採用されているのかと思いきや、例えば、同社の308P MK2の"Estimated In-Room Response"のグラフを見てみると、単純な5dB落ちという感じだ。
もっとも、300Hz以下は室内の反射とか残響とか、要するに直接音以外の要素が加わるので、低域全体のレスポンス、そしてこの150Hzから300Hzのあたりがどうなるのかは部屋による。
事件は現場で起きている訳だから製品レベルであんまり厳密に追っかけても無駄ということだ。
とは言え、308P MK2について"このスピーカーを聴くのはなんと楽しいことでしょう"とamirm氏は感想を述べており、やはり、周波数レスポンスと指向性の精密な制御ができているスピーカーというのは素晴らしいということだ。