読売日本交響楽団の第528回名曲シリーズのコンサートに行ってきました。
指揮者はシルヴァン・カンブルランさん。
前半は、ハイドンのオラトリオ(天地創造)から序奏とヴァレーズの砂漠。
この2曲は連続して演奏されました。
指揮者のカンブルランさんのお話に よると「ハイドンの〈天地創造〉の序奏部分で、彼はカオスを描いていますが、そのカオスの後にヴァレーズの〈砂漠〉がやってきます。ハイドンの書法がいか に現代的なものであったかを聴くことは、聴衆の皆さんにとっても興味深いことだろうと思います。ハイドンが演奏されて、ヴァレーズが続きますが、ヴァレー ズがいつ始まったのか、はっきりとはわからないでしょう。どうぞ会場にいらして、皆様の耳で聴いて確かめてみてください。」とのことでした。
それはともかく、砂漠はどうも、などと思いながら出かけた訳です。
ところがCDで聴くのとは大違い!
緊迫感が別次元!!
特にサンダル(手に持って皮を張った木の台?に打ち付けて音を出す)まで動員した打楽器群の奏者の方々の緊張感が猛烈に伝わってくる。
リズムというか拍子がデタラメなのかと思いきやカンブルランさんの指揮を見ているとそんなことはなく、無機的なはずの砂漠が実に有機的に感じられる。
ティパニのズダダダンという非常に早く切れが良くダイナミックな鳴りが凄い!
「ヴァ レーズ自身が、砂漠とは、砂、海、山といった物理的な砂漠を意味するだけではなく、大都会の人気のない通りのことでもあり、人間の奥深くにある内的宇宙を も意味している、という意味深長な言葉を残していることを忘れてはならないだろう」と読売日響の7月号小冊子に解説がありました。
しかし、この演奏からは、そうした絶望、不安、孤独、虚無感も命があるからこそ感じられる、というような、何と申しましょうか、生命感というか前向きな?力強さが感じられたのです。
すっかり砂漠のファンになってしまいました。
休憩時間に打楽器群がどんどん片付けられていくのを見て、なんだか大変残念な気持ちになりました。
もう少し見ていたかったなぁ…
後半はマーラーの交響曲(大地の歌)。
アルトはエカテリーナ・グバノヴァさん、テノールはミヒャエル・ケーニッヒさんです。
P席ですから、背中側で聴くわけでして、これも期待できないなぁと思ってました。
しかし、舞台に現れたグバノヴァさんもケーニッヒさんも背が高く体格も立派であり声量があるため、ちゃんと聴こえました。
いやぁ、これはよかったです。
漢詩というのは酒に酔う話が多く苦手です。
だってあんまり飲まないからそういう気持ちが分からないのと、酒でおかしくなってしまった連中が回りにいっぱいいるから。
頭が変になって死んだのもいる。
飲んで騒いだり嘆いたりというのは信楽焼の狸が躁鬱病にかかっているようなもんですね。
みっともない。
帰りの電車の中で大地の歌というか漢詩のことを考えてみると…
当時は巨大スピーカーやDCX2496がなく、酒ぐらいしか楽しみがなかったのではないか。
そして、人生に想いを巡らすには詩人自身が幼すぎたように思う。
何故って平均寿命が短かかったから。
現代では… 想いを巡らすのにあきて、どうでもよくなる。
だから詩もできん。
何という珍解釈、こんなの初めて聞きましたぁ。
読売日響の7月号小冊子と、会員特典で今日もらってきたカンブルランさん指揮の運命と、けいおん!りっちゃん隊員のキャラソンCD。
これは世界だ?
PLAYTECHのLP-500 PREMIUM F-Hole Cherry Burstなのだっ!
なぜかギー太は、ぷれみあむ、なのだっ!
いいなぁ…
ほしいなぁ…
じつはギー太は子供用なのだった!
お父さんは、がまん、なのだ…
amPlug AC30、どんな音なんだろう。
LP-500 Fホール付は完璧でした。
どこも悪い部分が無く、とても弾きやすく、音色が素晴らしい。
ちゃんと響きがある。
塗装も見事。
これで2万円は驚異的。
AC30もノイズはなく、TONEとGAINの2つのダイヤルで音作りができる。
さらに、プレイテックのベースとベース用マルチエフェクターを注文しました。
エリザベ~ス、早くこないかな。
ついでにギター用のマルチエフェクターも注文。
デジタル機材はついつい買ってしまうのだ。
JBL 2407H or 2408H + PEAVEY CH-1
PEAVEY RX-22 + PEAVEY CH-1
PEAVEY 1508-8 HE BWX ×4
ベースが届かないので落書きだけが増えてゆく。
…と、届いた。
早速、箱から出してみると…
木目が気になって仕方なかった。
木目がデザインの要になっているような製品を現物を見ずに買う、というスリル。
こんなにドキドキしたのは久しぶりです。
箱から出してみると、おおっ、これは素晴らしい木目!
画像のような白木ではなく薄茶色。
実物は画像よりもずっと渋い。
梨地仕上げのつまみも渋い…
機能的な問題もないです。
マルチエフェクターのZOOMのB1は、とりあえずリズム機能が面白い。
これに合わせて好き勝手に弾く。
いきなりノリノリになってしまいました。
楽器を買うと思い出すのは、漱石の猫に出てくる寒月先生のバイオリンの話。
金善という雑貨屋にバイオリンが吊るしてある。
お値段、五円二十銭。
「おいそんな安いヴァイオリンがあるのかい。おもちゃじゃないか」
というのですから、それはそれは安いものなのでしょう。
寒月の説明によると「(バイオリンは)二三梃いっしょに店頭へ吊るしておくのです。それがね、時々散歩をして前を通るときに風が吹きつけたり、小僧の手が障ったりして、そら音を出す事があります。」
で、寒月は「その音を聞くと急に心臓が破裂しそうな心持で、いても立ってもいられなくなる」と言います。
これに対し、美学者の迷亭は「危険だね。水癲癇、人癲癇と癲癇にもいろいろ種類があるが君のはウェルテルだけあって、ヴァイオリン癲癇だ」と冷やかすと、東風が「いやそのくらい感覚が鋭敏でなければ真の芸術家にはなれないですよ。どうしても天才肌だ」と感心する。
くすくすくす。
2色ホーンシステムのV字型バッフルのデジタル制御は大変難しかった。
しかし、長い間の苦しい格闘の末、何とかものにできた。
もっともっと気難しくて手に負えないようなシステムを作ってみたいな。
CH-1ホーンは、ネジ込み式の1インチスロートだ。
そのスロート口には取外しが可能な大きなナットが挟み込まれており、これにドライバーのスロートをねじ込むようになっている。
この大きなナットを取り外し、スロート部を改造すると1.5インチ程度のスロート口を確保することができそう。
安価なPEAVEYの44XTは付属のスロートアダプタを取り外すと1.6インチスロート。
これをCH-1に取り付けたらどうだろうか。
ウーファー部はバックロードも考えてみたい。
ちなみにバックロードという呼び方は日本だけ。
普通はスクープ(scoop/ひしゃく、大さじ)、スクーパー、リアローディッド。
ギー太とエリザベス。
指揮者はシルヴァン・カンブルランさん。
前半は、ハイドンのオラトリオ(天地創造)から序奏とヴァレーズの砂漠。
この2曲は連続して演奏されました。
指揮者のカンブルランさんのお話に よると「ハイドンの〈天地創造〉の序奏部分で、彼はカオスを描いていますが、そのカオスの後にヴァレーズの〈砂漠〉がやってきます。ハイドンの書法がいか に現代的なものであったかを聴くことは、聴衆の皆さんにとっても興味深いことだろうと思います。ハイドンが演奏されて、ヴァレーズが続きますが、ヴァレー ズがいつ始まったのか、はっきりとはわからないでしょう。どうぞ会場にいらして、皆様の耳で聴いて確かめてみてください。」とのことでした。
それはともかく、砂漠はどうも、などと思いながら出かけた訳です。
ところがCDで聴くのとは大違い!
緊迫感が別次元!!
特にサンダル(手に持って皮を張った木の台?に打ち付けて音を出す)まで動員した打楽器群の奏者の方々の緊張感が猛烈に伝わってくる。
リズムというか拍子がデタラメなのかと思いきやカンブルランさんの指揮を見ているとそんなことはなく、無機的なはずの砂漠が実に有機的に感じられる。
ティパニのズダダダンという非常に早く切れが良くダイナミックな鳴りが凄い!
「ヴァ レーズ自身が、砂漠とは、砂、海、山といった物理的な砂漠を意味するだけではなく、大都会の人気のない通りのことでもあり、人間の奥深くにある内的宇宙を も意味している、という意味深長な言葉を残していることを忘れてはならないだろう」と読売日響の7月号小冊子に解説がありました。
しかし、この演奏からは、そうした絶望、不安、孤独、虚無感も命があるからこそ感じられる、というような、何と申しましょうか、生命感というか前向きな?力強さが感じられたのです。
すっかり砂漠のファンになってしまいました。
休憩時間に打楽器群がどんどん片付けられていくのを見て、なんだか大変残念な気持ちになりました。
もう少し見ていたかったなぁ…
後半はマーラーの交響曲(大地の歌)。
アルトはエカテリーナ・グバノヴァさん、テノールはミヒャエル・ケーニッヒさんです。
P席ですから、背中側で聴くわけでして、これも期待できないなぁと思ってました。
しかし、舞台に現れたグバノヴァさんもケーニッヒさんも背が高く体格も立派であり声量があるため、ちゃんと聴こえました。
いやぁ、これはよかったです。
漢詩というのは酒に酔う話が多く苦手です。
だってあんまり飲まないからそういう気持ちが分からないのと、酒でおかしくなってしまった連中が回りにいっぱいいるから。
頭が変になって死んだのもいる。
飲んで騒いだり嘆いたりというのは信楽焼の狸が躁鬱病にかかっているようなもんですね。
みっともない。
帰りの電車の中で大地の歌というか漢詩のことを考えてみると…
当時は巨大スピーカーやDCX2496がなく、酒ぐらいしか楽しみがなかったのではないか。
そして、人生に想いを巡らすには詩人自身が幼すぎたように思う。
何故って平均寿命が短かかったから。
現代では… 想いを巡らすのにあきて、どうでもよくなる。
だから詩もできん。
何という珍解釈、こんなの初めて聞きましたぁ。
読売日響の7月号小冊子と、会員特典で今日もらってきたカンブルランさん指揮の運命と、けいおん!りっちゃん隊員のキャラソンCD。
これは世界だ?
PLAYTECHのLP-500 PREMIUM F-Hole Cherry Burstなのだっ!
なぜかギー太は、ぷれみあむ、なのだっ!
いいなぁ…
ほしいなぁ…
じつはギー太は子供用なのだった!
お父さんは、がまん、なのだ…
amPlug AC30、どんな音なんだろう。
LP-500 Fホール付は完璧でした。
どこも悪い部分が無く、とても弾きやすく、音色が素晴らしい。
ちゃんと響きがある。
塗装も見事。
これで2万円は驚異的。
AC30もノイズはなく、TONEとGAINの2つのダイヤルで音作りができる。
さらに、プレイテックのベースとベース用マルチエフェクターを注文しました。
エリザベ~ス、早くこないかな。
ついでにギター用のマルチエフェクターも注文。
デジタル機材はついつい買ってしまうのだ。
JBL 2407H or 2408H + PEAVEY CH-1
PEAVEY RX-22 + PEAVEY CH-1
PEAVEY 1508-8 HE BWX ×4
ベースが届かないので落書きだけが増えてゆく。
…と、届いた。
早速、箱から出してみると…
木目が気になって仕方なかった。
木目がデザインの要になっているような製品を現物を見ずに買う、というスリル。
こんなにドキドキしたのは久しぶりです。
箱から出してみると、おおっ、これは素晴らしい木目!
画像のような白木ではなく薄茶色。
実物は画像よりもずっと渋い。
梨地仕上げのつまみも渋い…
機能的な問題もないです。
マルチエフェクターのZOOMのB1は、とりあえずリズム機能が面白い。
これに合わせて好き勝手に弾く。
いきなりノリノリになってしまいました。
楽器を買うと思い出すのは、漱石の猫に出てくる寒月先生のバイオリンの話。
金善という雑貨屋にバイオリンが吊るしてある。
お値段、五円二十銭。
「おいそんな安いヴァイオリンがあるのかい。おもちゃじゃないか」
というのですから、それはそれは安いものなのでしょう。
寒月の説明によると「(バイオリンは)二三梃いっしょに店頭へ吊るしておくのです。それがね、時々散歩をして前を通るときに風が吹きつけたり、小僧の手が障ったりして、そら音を出す事があります。」
で、寒月は「その音を聞くと急に心臓が破裂しそうな心持で、いても立ってもいられなくなる」と言います。
これに対し、美学者の迷亭は「危険だね。水癲癇、人癲癇と癲癇にもいろいろ種類があるが君のはウェルテルだけあって、ヴァイオリン癲癇だ」と冷やかすと、東風が「いやそのくらい感覚が鋭敏でなければ真の芸術家にはなれないですよ。どうしても天才肌だ」と感心する。
くすくすくす。
2色ホーンシステムのV字型バッフルのデジタル制御は大変難しかった。
しかし、長い間の苦しい格闘の末、何とかものにできた。
もっともっと気難しくて手に負えないようなシステムを作ってみたいな。
CH-1ホーンは、ネジ込み式の1インチスロートだ。
そのスロート口には取外しが可能な大きなナットが挟み込まれており、これにドライバーのスロートをねじ込むようになっている。
この大きなナットを取り外し、スロート部を改造すると1.5インチ程度のスロート口を確保することができそう。
安価なPEAVEYの44XTは付属のスロートアダプタを取り外すと1.6インチスロート。
これをCH-1に取り付けたらどうだろうか。
ウーファー部はバックロードも考えてみたい。
ちなみにバックロードという呼び方は日本だけ。
普通はスクープ(scoop/ひしゃく、大さじ)、スクーパー、リアローディッド。
ギー太とエリザベス。