2004/05/10

幸せの黄色いホーン 70話 38cm2ウェイのルーツ



2192について何をモタモタ考えていたのでしょうか。まずは38cm2ウェイのルーツを探るお話。

JBL社の5000番シリーズのパンフレットには「3ウェイのシネマスピーカー」ということが強調されています。シネマスピーカーの代名詞、ALTECのVOTTシリーズは2ウェイ。しかし、いまさら2ウェイか3ウェイかなどという宣伝文句は時代錯誤もいいところ。



シァラーホーンシステム

ところで38cm2ウェイというのは1935年に発表されたShearer Horn System(シァラーホーンシステム)が商業的に成功したことに端を発しています。このシァラーホーンシステムは、それ以前にスタンダードだったWE社のワイドレンジシリーズが持ついくつかの問題点を解決する事を目的として開発されました。



ワイドレンジシリーズ

ワイドレンジシリーズは3ウェイ。ジェンセン製の46cmウーファー、555ドライバー(アルミ合金製の2インチダイアフラム)とカタツムリホーンの15Aホーンや16Aホーンの組み合せ、そして596Aツィーター。なお、上の写真のワイドレンジシステムのウーファーユニットはTA4151A(13インチ/32cm)の3発。

Lansing Heritageの解説によると、その問題点とはこんな具合。低音部が開放バッフルだったため最低域の能率が低く、またレンジも伸びていない。ウーファー部の歪が多い。555ドライバーと組み合わされている巻貝型の15Aホーンの音道(約3.6m)が長くウーファー部との位相差が大きい。この位相差は2msec.もあり、タップダンスの1度のステップ音が2度に聴こえるほどだったとか。



フレッチャーシステムの低音ホーン部

シァラーホーンシステムの開発に関係したシステムはもう一つ。それは1933年に実験的に開発されたベル研究所のFletcher System(フレッチャーシステム)。これがなかなか好評だったそうで、このフレッチャーシステムを参考にシァラーホーンシステムは開発されたそうです。このシステム、巨大な低音ホーンとマルチセルラホーンによる2ウェイでした。低音ホーンと組み合わされていたウーファーユニットはアルミ振動板を備えた20インチ。中高域用の4インチダイアフラムのコンプレッションドライバーは594の原型、375の本当のご先祖様。

もちろんこのフレッチャーシステムにも問題点がありました。ホーン長が短いマルチセルラホーンになったのに、今度は低音ホーンの音道が長くなってしまい、ワイドレンジシリーズと同様の位相差の問題が。しかし、このフレッチャーシステムはワイドレンジシリーズよりも近代的なスピーカーであり、はるかにマシだった。何がって? それは「2ウェイ構成」だったという点です。

シァラーホーンシステムの開発はMGM社のジョン・ヒリヤード氏が仕掛け人。彼の下に集められたエキスパート達は、J.B.ランシング氏(ユニット開発担当)、ジョン ブラックバーン氏(ランシング氏のアシスト)、ハリー キンブル氏(ネットワーク開発担当)、ロバート スティーブン氏(マルチセルラホーン設計)等々。そして、このエキスパート集団は、新しいシネマスピーカーのウーファー部をどのような構成にしようかと話し合ったはずです。

問題になっているWE社のワイドレンジシリーズは3ウェイ構成。18インチウーファーのくせに低域のレンジや歪率に問題がある。そしてWE社の親分であるベル研のフレッチャーシステムは20インチウーファー。このフレッチャーシステムは評判が良かった。ここでフツーの頭の持ち主なら18インチ以上のウーファーを考える・・・はず。

ところがところが、シァラーホーンシステムのウーファー部は2インチボイスコイルの38cmウーファーである15XS、これとホーン長の短いW型の低音ホーンとの組み合せ。そして中高域はマルチセルラホーンと組み合わされた2.84インチボイスコイルの284コンプレッションドライバー。ワイドレンジシリーズやフレッチャーシステムに比べると非常に小柄な?システムになった。

エキスパート集団の誰かが38cm2ウェイを主張したのでしょう。うーむ、かなり大胆。それにしても一体誰が?

別冊ステレオサウンド誌の「JBL 60TH ANNIVERSARY」には、ランシング氏がダイアフラム径を2インチにするか4インチにするかで悩み、結局2.84インチにしたということが記載されており、また、別冊ステレオサウンド誌の「ヴィンテージスピーカー大研究ユニット編」では、JBL社の前身であるランシングマニュファクチャリング社にはシァラーホーンシステムで有名になる前に8インチから15インチの色々なモデルがあったと杉井真人氏が解説されていました。

これらの記事から想像をたくましくすると、38cm2ウェイ構成はランシング氏が提案したのではないかと思うのです。ランシング氏は彼の15インチウーファーの低域性能に絶対の自信があった、そして、大きすぎない2.84インチドライバーを使えば2ウェイでも高域側のレンジを確保できる上、マルチセルラホーンにより高域端での良好な指向性をも確保できると、そう主張したのではないでしょうか?

ランシング氏が38cm2ウェイの生みの親なのかどうか、その真偽のほどは分かりませんが、ともかく彼らのシァラーホーンシステムはWE社のワイドレンジシリーズを打ち破った。WE社はワイドレンジシリーズでの敗北を、シァラーホーンシステムの成功の後に開発されたミラフォニックシリーズによっても挽回できなかった。ミラフォニックシリーズの18インチ2ウェイという構成は、その後、どのメーカーも真似しようとはしなかったからです。

シァラーホーンシステムによって確立された38cm2ウェイという構成はその10年後の終戦の年、1945年に発表されたALTEC社のVOTTシリーズで大成し、そして1983年に提唱されたTHXの認定を最初に受けたJBL社の現代的なシネマスピーカー4675へ踏襲されていきました。




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