庭に面する大書院の広間には長谷川等伯のあまりできの良くないレプリカが展示されている。
左側手前が等伯の楓図、その奥が等伯の息子の久蔵の桜図、正面が松に立ち葵図である。
利休や秀吉に気に入られた等伯、当時の京都の画壇を支配していた狩野派との対立、そして、等伯は久蔵をあえて狩野派に修行に出したのだが期待の久蔵が若くして謎の死を遂げるのである。
楓図の向かって右側の枝が下を向いているのは久蔵の死を悼んでとの話がある。
智積院はもともと祥雲寺があったところに建てられた。
この祥雲寺というのは秀吉が夭折した鶴松のために建立した禅寺である。
一方、智積院は和歌山の根来寺の塔頭の一つであった。
根来塗の漆器を集めたことがあったので、根来寺には親近感がある。
根来寺を拠点とする根来衆が秀吉に反抗したため、秀吉により根来寺は焼き討ちにあい、同時に智積院も焼失する。
その後、豊臣が滅び家康の時代が来ると、秀吉に押さえつけられていた勢力が盛り返す。
そういう背景があり家康は智積院に祥雲寺を与えるわけである。
正面の松に立ち葵図は、大きく右側に傾いている松が鶴松、その下に咲いている葵が家康という訳である。
解釈は分かれているが、まあ、何と言うか。
なお、楓図、桜図、松に立ち葵図はすべて国宝であり、現物は智積院の宝物館で見ることができる。
いずれも大きく迫力があり日本画の頂点を極めた素晴らしい障壁画である。

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