三宝院純浄観の建物の下には池の水路が引き込まれており、舟が通れるようになっている。
家康は生母の病気回復の祈祷を義演に頼んでいる。
プライベートな面でも信頼していたのだろう。
豊臣家が滅亡しても家康が藤戸石を奪わなかった理由は、権力を象徴する石ではなく権力がいずれ奪われるものであることを示す不吉の石と家康の目には写ったからではないか。
そして、そんなつまらんものを義演からとりあげ、宗教界の権力者になっていた義演の不興を買いたくないと思ったのかもしれない。
まあ、名のあるものをむやみに欲しがるとか、名のあるものにあやかろうとするのは、名のなきものに任せておけばよいと、家康は分かっていたのだろう。

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