2022/01/31

Dogura Magura / Yumeno Kyusaku





夢野久作のドグラマグラ、先日、青空文庫で読んだ。
三大奇書の一つとされているが、微妙である。
夏目漱石の趣味の遺伝とよく似ている。
調べてみると、ドグラマグラが刊行されたのは1935年、趣味の遺伝は1906年である。

男女の話という点で、ドグラマグラは趣味の遺伝と共通している。
そしてどちらも飛切りの美少女、美女ということになっている。

ドグラマグラが趣味の遺伝と異なるところは、精神病という要素を加えた点であろう。
統合失調症患者にたまにみられる時間感覚の混乱という興味深い症状を持ち出している。
原因と結果の順序が頭の中で滅茶苦茶になるという症状だ。
夢野はドグラマグラに10年の製作期間をかけたそうである。
その間に精神疾患の症例などを調べこの着想を得たのであろう。

ドグラマグラの前半にある遺伝に関するの記述はよくできているが、残念ながら全体としては肉のつけすぎである。
夏目は、「それだから私は御寺参をしておりましたと答えたそうだ。」の一言で納めてしまう。
夢野に夏目の鋭さを望むほうがおかしいとは思うが。
ドグラマグラを再度読むことはあるまい。




2022/01/29

Yam Gruel / Ryunosuke Akutagawa (3)




 
ところで、その後の五位はどうなったのであろうか?
帰京し、しばらくは芋粥の話でからかわれる日々が続くのであろう。
年に一度の芋粥を楽しめる正月の席では、おそらく落ち着いてそれを口にできる状況ではなくなるだろう
しかし、このような失敗は意外と悪くないのではないかと思うのである。

芥川は、五位が芋粥の夢を喪失したように評価しているが、夢を喪失したことにより新たな行動の機会を失った利点については考えていないようだ。
夢に向かって新たな行動を起こす場合、当然、現状を変更することになる。
山芋と甘葛(あまづら)が容易に手に入る田舎に暮らすことを五位が考えたとする。
当然、盗賊は出るだろうし、山芋ばかりを喰らうわけにもいかぬから村人ともうまくやっていかなければならぬ。
このように、都での五位の生活はみじめではあるが、かような生命の危険や生活の困難はない。

新しいことを始めるのはリスクが伴う。
たいていの場合、生存率の低下を招くのである。
であるからして、そのような分岐点に立つと、それを思いとどまらせる様な思考が無意識のうちに開始されるのである。

「金がかかるのではないか。」
「諦めればその金で旨いものがたらふく喰える。」
「怪我をするかもしれない。」
「家族が反対するだろう。」
「ご近所に笑われるかもしれない。」
「諦めれば余計な運動をすることもなく草臥れない。」

まあ、こんなどうでもよいようなことが次から次へと頭に浮かぶ。
新しいことを諦めるために思考を総動員し、現状に満足しようとするのである。

思うに、五位は「思いとどまらせる理由」を無意識下で探していたのではないだろうか。
そして、豪快な芋粥の調理現場の光景は、その「思いとどまらせる理由」そのものだった。
ああ、これは自分には絶対に無理だ、と心底納得できたのだ。
納得させられれば、危険に満ちた新たな行動に出ることはない。
五位は、ここに至って芋粥の呪縛から解放され、安心することができたのだ。
新たな行動の機会を失い、生存率の低下を防止することができたのである。

それに、己の不甲斐なさは恰好の酒の肴である。
じくじくと芋粥事件を思い出し、一斗の芋粥を前にした己の狼狽した姿や情けない表情を事細かく想像しては溜息をつき酒を呑む。
これが酒を旨くする、美酒にする。甘露である。
人間とはそういうものである。
アル中のほとんどは、この桃源郷に堕ち込んでいるのである。

どうだろう、こう考えてゆくと五位はそれほど不幸にはなっていないのではなかろうか。
現状維持ができた訳だし、己の不甲斐なさをまさぐる思い出で酒は旨くなる一方だ。
五位のその後の人生、言うこと無しではなかろうか。

それに、自由に生きる、というのも大変だ。
自由というのは出鱈目とはちがう。
時には調査研究し知識を蓄え、検討を重ね、己の方針を決定せねばならぬ。
五位のような人間にはやはり無理というものだろう。





2022/01/27

Yam Gruel / Ryunosuke Akutagawa (2)






しかしよく考えてみると、五位は結局、芋粥を大量に飲んでいるのである。
器は、「銀(しろがね)の提(ひさげ)の一斗ばかりはいるのに」との記載がある。
そして五位は、「提に半分ばかりの芋粥を大きな土器(かはらけ)にすくつて、いやいやながら飲み干した。」のである。

平安時代の話なので、当時の一斗がどの程度の容積なのかは不明だ。
調べてみると、中国の隋・唐では5.94Lだそうだから、誇張を考えても相当な量を五位は飲んだことになる。
ということは、五位は物質的に満たされているのに、精神的には満たされていないということになる。

ある意味、理解しがたい話だと思う。
芋粥を大量に飲んでおいて結局は満足しない、満足できない。
このような結果を招来したのは利仁の所業によるところなのであるが、芋粥を大量に飲むという点においては、完璧に希望した条件が満たされている。

利仁の所業と似たような作用を及ぼすものとして「時代」「ブーム」なんかが考えられる。
オーディオなどは、オーディオブームの時はマニアが大勢おり、皆、喉から手が出るほど欲しがったのに、今ではそんな話など聞かぬ。
なぜ、あんなに浮かれていたのか、いまとなってはさっぱり思い出せない。
そして今時、オーディオ趣味なんぞ何の理解も得られないだろうし、あれこれ当時の機材を手に入れてやってみても精神的に満たされることはまずないということだ。
人間はその時代の空気に反応せざるを得ないように作られているから、こればっかりは仕方がないと言わざるを得ない。
実に残念なことではなかろうか。

本当に欲しいものは手に入らないとは、ちょっと言い過ぎだとは思うが、それでも非常に困難であると言うことはできるであろう。
時期を逸してしまうと熱が冷めてしまい、もうそこには欲しいものがなくなってしまう。
軽薄な凡人やそれで己を飾ろうとする者ならそれで終わりだ。
こういう連中は新たに欲しいものができても結局は手に入らない、を繰り返すだけだ。
なんと人間はめんどくさく、愚かな存在なのであろうか。

けれども、悪いことばかりではない。
時代の空気が変わっていくということは、その時代特有の常識から離れてゆくということだ。
頭の中を支配する「常識の喧騒」が段々と収まってゆく。
要するにブームが去って、一人そこにたたずむことになる、というか孤独が手に入るわけだ。
これをチャンス到来ととらえるなら、本当に欲しいものが手に入るかもしれない。

オーディオに関しては、オーディオブームのころのオーディオの常識に縛られていた。
しかし、ブームが去れば、その束縛から解放され、とりあえずオーディオの常識でガチガチに固められていたものを粉砕し、自分の思い通りのオーディオの再構築をすることができる。
この再構築は、オーディオ以外の他の分野の経験から得たものを織り込みながら慌てず急がずじっくり行うことができる。
要するにブームのころには考えられなかったようなことができるということだ。

こうしたことは、自由に生きる、ということの一つの場面を現わしているのかもしれない。
徹頭徹尾自由にやれると、利仁みたいなのは眼中から消える、どうでもよくなる。
常識の喧騒ではなく、自由を意識して、あこがれていたものを手に入れ、じっくり付き合う。
最高ではないか。

一斗の芋粥ならぬ尋常ならざる巨大なスピーカーシステムを見ては、いまでも時よりほくそ笑んでいる、という次第である。



2022/01/25

Yam Gruel / Ryunosuke Akutagawa



芥川龍之介の芋粥を読んだ。
青空文庫である。
芥川は苦手で読んでもよく分からないという印象があった。
それで青空文庫で読み直してみることにしたのである。
青空文庫に掲載されている芥川の作品は378ある。

芋粥などの代表作は中学生ぐらいの時に読んでいるはずであり、また、大学生のころにも読んでいるはずなのだが、当時はなんだか意味が分からなかった。
実は、今回もよく分からなかった。
なにより芋粥を飲む狐には面喰った。

最後の記述「しかし、同時に又、芋粥に飽きたいと云ふ慾望を、唯一人大事に守つてゐた、幸福な彼である。――彼は、この上芋粥を飲まずにすむと云ふ安心と共に、満面の汗が次第に、鼻の先から、乾いてゆくのを感じた。」
これから察するに、あこがれているうちが華、ということなんだろう。
しかし、そういうことなんだろうか?

豪快な芋粥の調理現場を見たとき、なぜ、五位は狂喜しなかったのか。
結局、ここで驚愕しつつも狂喜できないような器の狭い男だからああいう境遇の人になってしまったのだろうと思う。
一方、利仁もどうかと思う。
ユーモアがあるのはよいのだが、五位なんて相手にしてもつまらんと思う。
まあ、坊ちゃんというか、暇つぶしなんだろうな。

この作品は1916年に書かれている。
芥川は1892年の生まれだから24歳のときの作品だ。
あこがれていたものが手に入った後に、そこからさらに別の世界が広がっていることに気づいていたのかは、この作品からは伺えない。

なにはともあれ、好きなだけ努力や苦労をして手に入れないと始まらない。
手に入れたのなら放り出さず、それを味わい尽くす。
そしてさらに踏み込んでゆく。
こういう覚悟がないとどうにもならないように、思うな。





2022/01/23

CBS SONY BEST CLASSICS 100



レコード音楽への入り口は映画"史上最大の作戦"のテーマ曲である"The Longest Day"。
これを聴きたくて三洋電機の卓上ステレオを買ってもらったのが小学生の5年生か6年生だったと思う。

その後、CBSソニーの拡販用サンプルレコードの音のカタログ第1巻と第2巻を入手し、レコードを集めるようになった。
要するにレコード選びは、音楽そのものを聴いて選んでいたわけで、レコード評論家の紹介文のような文字情報とは当時から無縁だったわけである。
今でも妙な先入観を持たず音楽を聴くことができるのはこうした経験の賜物だろう。

"The Longest Day"は、曲だけの、すなわち、Choral Versionではないものが好きで、これが交響曲好きにつながっているような気がする。
ピアノを弾くもののピアノのCDはあまり聴かず、今でももっぱら交響曲や協奏曲ばかりだ。

映画"史上最大の作戦"で好きなシーンは、トーチカから海を見ると水平線を埋め尽くす大艦隊がやってくるシーンである。
"問答無用、圧倒的な物量で押しまくる"べきなのであるから、ポンコツだろうが何だろうが、ともかく分け隔てなく全てを最前線に投入すべきである、という妙な考えを持つようになった。

そして、戦争映画の音楽で一番好きなのは、"遠すぎた橋"の"A Bridge too far"である。
映画自体は反戦映画だと思うが、マーケット ガーデン作戦は、失敗しつつも力づくで成功につなげてゆく、という屈服しない人間の話だ。
映画よりも当該作戦のそういう点が自分に合うというか好きなのだと思う。


1 ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」冒頭 バーンスタイン/NYP
2 ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」第4楽章中途 バーンスタイン/NYP
3 マーラー 交響曲第1番「巨人」第4楽章冒頭 バーンスタイン/NYP
4 ベルリオーズ 幻想交響曲第4楽章中途「断頭台への行進」 バーンスタイン/NYP
5 ショスタコーヴィッチ 交響曲第5番第4楽章冒頭 バーンスタイン/NYP
6 ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界から」第2楽章中途 セル/クリーヴランド
7 モーツァルト 交響曲第40番第1楽章冒頭 セル/クリーヴランド
8 ブラームス 交響曲第4番第1楽章冒頭 セル/クリーヴランド
9-10 マーラー 交響曲第2番「復活」第5楽章冒頭 ワルター/NYP
11 ブルックナー 交響曲第9番第3楽章中途 ワルター/コロムビア
12 ガーシュウィン 「パリのアメリカ人」冒頭 バーンスタイン/NYP
13 ムソルグスキー 「展覧会の絵」より「キエフの大門」 バーンスタイン/NYP
14 ワーグナー ワルキューレの騎行 セル/クリーヴランド
15 ドビュッシー交響詩 「海」第3楽章中途 ブーレーズ/NPO
16 チャイコフスキー 「白鳥の湖」より「情景」 オーマンディ/PO
17 バッハ 管弦楽組曲第3番第2楽章アリア カザルス/マールボロ
18 ブラームスピアノ 協奏曲第2番第1楽章冒頭 ゼルキン/セル/CO
19 モーツァルトピアノ 協奏曲第26番「戴冠式」第3楽章冒頭 カサドシュ/セル/CSO
20 メンデルスゾーン ヴァイオリン協奏曲第1楽章冒頭 スターン/オーマンディ/PO
21 ラロ スペイン交響曲第1楽章冒頭 フランチェスカッティ/ミトロプーロス/NYP
22 ロドリーゴ アランフェス協奏曲第2楽章冒頭 ウィリアムス/オーマンディ/PO
23 シューベルト ピアノ五重奏曲「ます」第4楽章中途 ゼルキン他
24 ドヴォルザーク 弦楽四重奏曲第6番「アメリカ」第2楽章冒頭 ジュリアードSQ
25 モーツァルト フルート四重奏曲第1番第1楽章冒頭 ランパル/スターン他
26 ショパン バラード第1番中途 ホロヴィッツ
27 モーツァルト 「トルコ行進曲」冒頭 クラウス
28 バッハ イタリア協奏曲第1楽章冒頭 グールド
29 シューマン 「トロイメライ」冒頭 アントルモン
30 リスト 「ラ・カンパネラ」冒頭 ワッツ
31 ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」第1楽章冒頭 バーンスタイン/NYP
32 チャイコフスキー 交響曲第6番「悲愴」第1楽章中途 バーンスタイン/NYP
33 ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」第1楽章冒頭 セル/クリーヴランド
34 シューマン 交響曲第3番「ライン」第1楽章冒頭 セル/クリーヴランド
35 モーツァルト 交響曲第39番第3楽章冒頭 ワルター/コロムビア
36 グローフェ 「グランド・キャニオン」より「山道を行く」中途 バーンスタイン/NYP
37 モーツァルト アイネ・クライネ・ナハトムジーク第1楽章冒頭 セル/クリーヴランド
38 ショパン ピアノ協奏曲第1番第1楽章中途 ギレリス/オーマンディ/PO
39 モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第5番「トルコ風」第3楽章冒頭 スターン/セル/CSO
40 ベートーヴェン 弦楽四重奏曲第15番第4楽章冒頭 ブタペストSQ
41 シベリウス 交響曲第2番第4楽章冒頭 バーンスタイン/NYP
42 ベートーヴェン 交響曲第5番「運命」第1楽章冒頭 ブーレーズ/NPO
43-44 ブルックナー 交響曲第8番第4楽章冒頭 セル/クリーヴランド
45 ロッシーニ 「ウィリアム・テル」序曲中途 バーンスタイン/NYP
46 バッハ ブランデンブルグ協奏曲第5番第1楽章冒頭 カザルス/マールボロ
47 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番第1楽章中途 グールド/バーンスタイン/NYP
48 シベリウス ヴァイオリン協奏曲第1楽章中途 スターン/オーマンディ/PO
49 ベートーヴェン ピアノ三重奏曲第7番「大公」第1楽章冒頭 イストミン,スターン,ローズ
50 シューマン 「クライスレリアーナ」冒頭 ホロヴィッツ
51-52 マーラー 交響曲第9番第4楽章冒頭 バーンスタイン/NYP
53 マーラー 交響曲第4番第4楽章中途 グリスト/バーンスタイン/NYP
54 メンデルスゾーン 交響曲第4番「イタリア」第1楽章冒頭 セル/クリーヴランド
55 ベートーヴェン 交響曲第4番第1楽章中途 ワルター/コロムビア
56 R.シュトラウス 交響詩「ドン・キホーテ」中途 バーンスタイン/NYP
57 コダーイ 交響詩「ハーリ・ヤーノシュ」間奏曲冒頭 セル/クリーヴランド
58 ベートーヴェン ピアノ協奏曲第5番「皇帝」第1楽章冒頭 ゼルキン/バーンスタイン/NYP
59 ベートーヴェン ヴァイオリン協奏曲第1楽章中途 スターン/バーンスタイン/NYP
60 タルレガ 「アルハンブラ宮殿の想い出」冒頭 ジョン・ウィリアムス
61 シューベルト 交響曲第9番「グレート」第2楽章中途 バーンスタイン/NYP
62 ベルリオーズ 幻想交響曲第5楽章中途 ブーレーズ/LSO
63 ブラームス 交響曲第2番第1楽章冒頭 セル/クリーヴランド
64 モーツァルト 交響曲第41番「ジュピター」第1楽章冒頭 ワルター/コロムビア
65 ビゼー 「アルルの女」よりファランドール オーマンディ/PO
66 モーツァルト ピアノ協奏曲第20番第2楽章冒頭 クラウス/サイモン/ウィーン音楽祭
67 チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲第1楽章中途 オイストラフ/オーマンディ/PO
68 ブラームス ピアノ五重奏曲第1楽章冒頭 ゼルキン/ブタペストSQ
69 ショパン 英雄ポロネーズ中途 ブライロフスキー
70 フォスター 「金髪のジェニー」冒頭 モーマン合唱団/コンディ指揮
71 チャイコフスキー 交響曲第5番第4楽章冒頭 セル/クリーヴランド
72 ベートーヴェン 交響曲第9番「合唱」第5楽章中途 ワルター/コロムビア
73 ベートーヴェン 交響曲第6番「田園」第5楽章中途 ワルター/コロムビア
74 ブラームス 交響曲第4番第4楽章冒頭 ワルター/コロムビア
75 プロコフィエフ 組曲「ピーターと狼」中途 バーンスタイン/NYP
76 ストラヴィンスキー バレエ音楽「春の祭典」第1部中途 ブーレーズ/クリーヴランド
77 サン=サーンス ヴァイオリン協奏曲第3番第2楽章中途 フランチェスカッティ/バーンスタイン/NYP
78 モーツァルト 弦楽四重奏曲第17番「狩」第1楽章冒頭 ジュリアードSQ
79 ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第14番「月光」第1楽章中途 ゼルキン
80 ヘンデル オラトリオ「メサイヤ」よりハレルヤ・コーラス冒頭 バーンスタイン/NYP
81 ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」第4楽章冒頭 バーンスタイン/NYP
82 ハイドン 交響曲第94番「驚愕」第2楽章中途 セル/クリーヴランド
83 シューベルト 交響曲第8番「未完成」第1楽章中途 ワルター/NYP
84 マーラー 交響曲第1番「巨人」第1楽章中途 ワルター/コロムビア
85 ブラームス 交響曲第1番第4楽章中途 ワルター/コロムビア
86 ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」第1楽章冒頭 ワルター/コロムビア
87 ブルックナー 交響曲第4番「ロマンティック」第1楽章冒頭 ワルター/コロムビア
88 ストラヴィンスキー バレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)冒頭 バーンスタイン/NYP
89 ドヴォルザーク スラヴ舞曲作品72-2冒頭 セル/クリーヴランド
90 ストラヴィンスキー 組曲「火の鳥」(1910年版)中途 ブーレーズ/BBC響
91 シュトラウス 「美しく青きドナウ」中途 オーマンディ/PO
92 チャイコフスキー ピアノ協奏曲第1番第1楽章冒頭 フレーア/ケンペ/MPO
93 ブラームス ヴァイオリン協奏曲第3楽章冒頭 スターン/オーマンディ/PO
94 ドビュッシー 弦楽四重奏曲第1楽章冒頭 ジュリアードSQ
95 ベートーヴェン ヴァイオリン・ソナタ第9番「クロイツェル」第3楽章冒頭 フランチェスカッティ、カザドシュ
96 バッハ 「インヴェンション」第1番 グールド
97 バッハ 「トッカータとフーガ ニ短調」冒頭 パワー・ビックス
98-99 シューベルト 歌曲集「冬の旅」より菩提樹 ホッター、ドコウピル
100 ロシア民謡 「カリンカ」 ドン・コサック合唱団





2022/01/12

CLASSIC PRO ARR212R



これが当時の桃源郷(ケーブル類が写っていると地獄かも)。
TF1が8連装のTX816がある。
初音ミクのスカートのデザインになっている。




このカタログのTX816の説明には、"TF1わずか2モジュールだけでも、……LFOモジュレーションデータに差を持たせた広がり・奥行き感の演出・ステレオ効果・音像移動"などとあり、当時はpf70のコーラスやトレモロから想像するしかなかった。
TX816やDX5の音はMOX6のプリセットにあり、こんな音なんだろうなぁと、これも想像するしかない。
しかし、今ではサンプリング音源、物理モデル音源、FM音源ならFM8などのソフト音源が安価に入手できるし、ソフト上でミキシングしてデジタル出力できる。




本格的なオーディオシステムとシンセサイザーの組み合わせは楽しいと思うのだが、何故だかあまり見かけない。
音源としてシンセサイザーの音はあらゆるデジタルメディアとは次元が違う鮮度だ。
また、オーディオ世代は高齢になりつつあるのだから、アルツハイマー病等を予防するためにも全員キーボーディストを志すべきだろう。

さて、シンセサイザーやステージピアノとオーディオを接続する重要なアイテムが変換プラグだ。
フォーン/RCAのL字型変換プラグをお勧めする。
L字型だから出っぱらない。
クラシックプロのARR212R、サウンドハウスで1つ150円である。










2022/01/03

Happy New Year!



今年もよろしく。




おらだって虎…




ざぶーん しゅわしゅわしゅわ




うーむ うーむ うーむ うーむ




とっぷり