2025/12/12

Otsu and Kyoto



11/23 清水前泊

11/24 湖畔の高層ホテルに宿泊した。部屋は27階であった。琵琶湖を上から眺める素晴らしい展望で非常に気に入った。
以前宿泊したグランティトンやレイクルイーズのホテルほどではないか、日本でも巨大な空間が楽しめたのは良かった。
窓からの風景を楽しんでいると、トンビが窓のすぐ下をゆっくり飛び、これはなかなか見ものであった。大津泊

11/25 石山寺は紅葉真っ盛り。紫式部の人形が置いてあり、なるほどこんな感じだったのかと理解した。当時はここから瀬田川や琵琶湖が見えたのであろう。
石山詣は、京の都から逢坂の関を越え、打出浜から船に乗って瀬田川を下り、石山寺へ向かったのだそうだ。石山寺では少し降られたが、それもまた良し。
滋賀県立琵琶湖博物館でびわ湖大鯰を見る。期待していただけに、ちょっと迫力不足であった。
この小さな半島から見る夕日と湖面の水鳥達が織り成す風景はどこか懐かしく、そして寂しさを感じさせた。
それから559号線(さざなみ街道)はなかなか良かったな。もっと先まで走りたかったな。大津泊

11/26 日吉大社の狛犬を見る。社の軒下で番をするのは初めて見た。
旧竹林院では雨が降り始め、あわてて傘を収容していたのが面白かった。あの赤い傘は紙製なのだそうだ。
滋賀県立近代美術館に行く。遊亀の三女神(遊亀の作品は撮影可)が参考になった。ここの公園は広々としていて気持ちが良い。
夕食は山重で7700円也のうな重を食べた。関西のうな重もなかなかうまいではないか。大津泊

11/27 朝、琵琶湖に霧が出て一面真っ白である。
ベンツのタイヤ空気圧警告が表示されたのでホテルの裏のベンツディーラーに見てもらった。パンクではなく、先日入れ替えたタイヤの片側の空気圧が規定より高いためだった。やれやれ。
霧は段々と晴れてきた。
奥比叡ドライブウェイと比叡山ドライブウェイをドライブし、紅葉を楽しんだ。
このドライブウェイの紅葉は本当は素晴らしい。その色合いが見事である。
夕食は風花。リーズナブルで工夫があるし美味しい。京都泊

11/28 大覚寺に行く。大沢池をぐるりと回る。ここも紅葉が素晴らしい。嵯峨菊展をやっており、独特の古代菊の姿を楽しめた。
怖いもの見たさで嵐山に行くとものすごい人出である。天龍寺は年末の銀座のデパ地下のような有様だ。古都の風情など微塵もない。
宿泊先に戻った後、養源寺に行くがやっておらず、猫が数匹、門前で番をしている。三十三間堂は何度行っても素晴らしい。表情豊かな風神雷神像と二十八部衆像に見とれる。
夕食は星ヶ岡。スッポンのスープ、牛頬肉の煮込み、フカヒレ(原鰭)の煮込みと豪華であった。京都泊

11/29 素晴らしい晴天。東寺に行く。庭園の紅葉が池に映えて見事だ。五重塔の内部が公開されていた。前回行かなかった観智院も見学した。
東福寺は車で近づけないので泉涌寺に行った。御座所庭園は何度見てもいい。
そのあと智積院の庭園も見る。智積院のは滴り落ちる水の音があり、こういう仕掛けを庭に作りたいと思った。
まあ、どこもかしこも紅葉が美しく、紅葉の最盛期に当たったようだ。
少し疲れたので夕方にちょっと寝たのだか、妻が知らない曲だったけど鼻歌を歌いながら寝てたわよと、笑っていた。呑気というか流石というべきか。
夕食はたん熊。松茸の土瓶蒸し、真魚鰹の西京焼、クエのしゃぶしゃぶ、秋刀魚ご飯と、大変美味しかった。
やっぱり日本食は京都だね。京都泊

11/30 今日も晴天。東福寺に行く。朝一番だったが、かなり混雑していた。
紅葉は予想通り最盛期であり、これ以上ないコンディションだった。思ったよりも撮影は楽しめた。
それから京都府立植物園に行った。ここはいい。気に入っているのだ。
神社や寺院の庭の樹木は手を入れすぎており、なんだかちんまりしていて生気が無い。庭の全体の調和を気にしているからだ。もちろん、植物園の樹木も手を入れてあるとは思うのだが、あくまでも樹木中心だ。今回の薔薇園はまだ五分咲き…しかし、紅葉は本当に美しかった。そして楽しみにしていたフウの木の紅葉は圧巻であった。京都泊

12/1 清水後泊



2025/11/20

Ibanez SRH500F



SRH500Fを弾いていると、本格的な楽器をやってる感じがする。
ピアノやサックス、フレット付きのベースなら、誰でもすぐにドレミファソラシドは発音させることができるが、フレットレスだとそうはいかない。

ところで、楽器をやってみたいとは思っているものの、懸案事項フォルダーに入ったまま長期保存状態になっている方にアドバイス。
例えばクラシックピアノの場合、一般的にはショパンを弾けるようになるというのが、暗黙のというかなんというか、目的になっているような気がする。
しかし、ショパンは好きではない。
ドビュッシーとサティが好き。
まあ、この二人のは全曲自分なりに弾きこなしてみたいと。 

夏目漱石のケーベル先生という短編があり、まあ短いので読んでください。
"先生は、ただ自分の部屋で自分の気に向いたときだけ楽器の前に坐る、そうして自分の音楽を自分だけで聞いている。"
お年を召してからは人前で弾いてカッコいい姿を見せるとか、そういうことではないから、そこのところはお間違いのないよう。

ショパンとか人前で弾くとか、そういうのからいったん離れてみると、楽器を弾く目的というかイメージがリアルになるんじゃなかろうか。




弾いてみたい曲というのはありますか?
これが弾けたらいいなぁ、という曲があったら、それがあなたにとって音楽に導いてくれる"大切な一曲"です。
私のピアノでは、その一曲はアラベスクの1番でした。
いきなりは弾けませんから、少しづつ基礎から積み上げないとです。

これね、大切な一曲があると練習が続けられるのだよ。
この曲が弾けたらもう人生に悔いなし、なんて曲の存在はものすごいエネルギーを秘めているわけだ。
それはその曲が素晴らしいからエネルギーがあるのではなく、あなたが弾いてみたいと思った瞬間にエネルギーがその曲に充満するのである。

楽器は簡単ではない。
しかし、ぜんぜん無理という話でもありません。
何故ならあなたは今5歳児だから。
5歳からピアノを始めて、17歳まで12年間練習したら、これは凄腕になる。

1年練習しても6歳児だから絶望しなくてもいいよ。
だんだんうまくなって、ある日、意識しなくても指がかってに動くようになり、自分自身の進歩に驚くことになる。

難曲でなければ5年後には弾けるはず。
大切な一曲がケルンコンサートだったら楽譜があるわけだし、最初の魅力的な2分間ぐらいなら5年後じゃなくても十分いけると思う。
それに、5年なんてあっという間さ。
ぼやっと聴いているのと弾けるというのでは、人生の喜び、満足感は比較にならない。

練習はほどほどに。
楽器のやり過ぎは体を壊す。
サックスなら口を壊したり、ピアノやベースなら腱鞘炎になる。
しばらく練習できなくなるから気をつけようね。



2025/11/15

Ibanez SRH500F



知らなかったのだが、ベースには空間系のエフェクトを使わないのが一般的だそうだ。
低音の残響時間は長いのでバンドでは音がボケるからなんだろう。
フェンダーにはBassmanリバーブという製品があり、これはベース用のリバーブなのだが、その解説には"ベースにリバーブを適用する高度な技術は、今まで主にスタジオテクニシャンに託されていた領域でした"なんて書いてある。
リバーブは音に艶が出て好きなんだけどなぁ。

で今回、SRH500Fと同時に導入したのがフェンダーのマリンレイヤーリバーブである。
amazon経由でChuya-onlineから17438円(872ポイント付)で購入した。
ギター用のペダルだが、ダウンタウンと共通のアルマイト仕上げのアルミ外装が大変綺麗なので、並べてみたいなぁと。
まあ、リバーブなんてどれも同じようなものだからデザインで選べばいいんじゃないか。

とは言え、Bassmanペダルの方にはローカットのつまみがあり、低域をカットして音がボケるのを調整できるようだ。
こちらは演奏中にリバーブのon/offをしないので前段のダウンタウンかベースのEQで調整すれば済む。
フィルタースイッチはハイカットのみ。
あと、レベルつまみを時計回りに回しきるとウェットとドライの比率は約50/50になり、ウェットのみは背面のドライキルスイッチを使う。
ダンピングは高域減衰調整、プリディレイは残響開始のタイミング、スペシャルはシマーだ。
このシマーのバリエーションの1と2、どっちも気に入った。




B1Fourはニッケル水素電池を使用している。
B1Fourはセッティングボタンの電源項目でアルカリ/ニッケル水素を選択できるようになっている。
電圧不足は気になるところだから、こういう配慮はうれしいね。
それから、ダウンタウンの購入直後、以前使用していた初代B1(丸窓とダイヤルのある昔のやつ)の電源アダプターを流用したら盛大にノイズが出て驚いた。
NUXのACD-006Aという電源アダプターと組み合わせるとノイズは消えた。



2025/11/09

Ibanez SRH500F



エフェクターはフェンダーのダウンタウンエクスプレスとズームのB1Fourを使用している。
B1FourはTRBX604と、ダウンタウンはアメプロ2と同時に買った。
当時、B1Fourはサウンドハウスで1万ちょうど、ダウンタウンはamazonで20330円だった。

TRBX604とB1Fourの組み合わせは、たいていの音が出せると思っている。
Youtubeにデモがあって、それなんか聴くとプリセットだけで十分という気がする。
B1Fourは様々なエフェクター類の音を聴けるし、リズムマシン、チューナーやルーパー等の機能もある。
センスの無いボディ色以外は文句はない。
搭載エフェクターで面白いのはフレッテッドをフレットレスの音にするやつで、それを含んだパッチの名前が"17 Jaco Bass"。
懐かしいな、8:30は思い出ベストテンに入るレコードだ。




一方、ダウンタウンはフェンダー初のベース用マルチエフェクタということで購入した。
パッシブのアメプロ2をお迎えしたのはいいが、さすがにお相手がB1Fourではまずいだろうと思っていたので渡りに舟だった。
アレックスアギュラー氏が設計、回路はフェンダーのオリジナルと、どういう意味だか分からないが、ともあれビッグネームはなんだかありがたいし、豪華な雰囲気があるのに非常に安いというのが素晴らしい。
それにフェンダーの考えるベース用エフェクターを知ることもできるしね。
実際、つまみを回して音造りをするのは楽しい。
ダウンタウンを使う場合にB1Fourをダウンタウンのチューナーアウトと接続しそのチューナー機能だけ使うこともある。



2025/11/03

Ibanez SRH500F



SRH500Fの購入の際にはSRD900Fも検討してみた。
900の方は30フレットもあるので少し興味を持ったが、まあ、4弦24フレットで十分だろうと思っているので見送った。
500の方が見慣れないしカッコいいし。

どうなんだろう、ボーカルやら楽器一般を考えてみても3オクターブあれば十分じゃないのか。
5弦でB弦が増えたところで、ベースソロでそんなの使うのか?
ピアノで、そんな音域で旋律を歌わせることなんかないよな。
だからサムレストぐらいで使いもしない5弦で音が濁るぐらいならいらねぇ、って思うな。
6弦でさらにHi-Cがいるというなら、これはもう、ギターを弾いた方が早いんじゃないだろうか。

ところで音域と言えば、サックスだとアルトはE♭譜、テナーはB♭譜、ピアノはC譜、ベースはC譜の1オクターブ上げで記譜されている。
3オクターブと言っても音域から若干外れるとか、そういう場合、検索するとE♭譜やB♭譜が出てくるので、そういうので代用したりする。
という訳であまり不便は感じてない。




SRH500Fの話に戻ろう。
このフラットワウンドとフレットレスの感触の良さはどうよ。
つるつるのすべすべ、指板はpanga panga材というものだそうで、木目模様がいかにも堅そう。
ともかく、滑らかで触っているだけで幸せな気分だ。
フレットライン位置のサイドマークが目新しいが、これは見やすいな。
あと、ネックはTRBX604よりもさらに細い感じがする。

セミホロウボディなのでやっぱり軽い。
TRBX604も軽いが、それよりも軽い感じがする。
調べてみるとTRBXが3.6から3.7kg、SRH500Fが3.2kgだそうだ。
まあ、これ以上軽いと軽すぎて困るかもしれない。

フレットレスの音は、オーディオマニアならジャコパストリアスとかマーカスミラーでおなじみだろう。
音の立ち上がりが緩いあの感じの音だ。
そのファットな感じはTRBX604やアメプロ2のフロントとも全く違う。
一種独特の快感というか、Rob氏がニンマリしていたのがよく分かった。



2025/10/28

Ibanez SRH500F



100万円だと思っていたからお値段10分の1、これは安いよ奥さん、すぐ買いましょうそうしましょう、である。
サウンドハウスのポイントもガッツリあるしな。

と、こういうのが悪い癖なんである。
フレットレスなんてのは上級者向けと思っていたのだが、安いとなるとその勢いで壁を平気で飛び越えてしまうのである。




取寄せの表示になっていたが、ポチッとしてから4日後にやってきた。
Bass Workshopシリーズというだけあり、期待通りの素朴な雰囲気、そして丁寧に作られていてなごみました。
調整は必要なし、ボリュームとトーンつまみがなぜか反対方向を向いていたので付属のレンチで緩めて付け直した。

早速、バッハのチェロ、スイート1を弾いてみた。
フレットレスなのでもっと苦戦するのかもと思ったが、意外とうまくいく。
SRH500FとTRBX604の握った感触がフレットの有無以外はとても似ているからだろう。
それからハイポジションはけっこうシビアだな、と当たり前のことに気づく。

でもまあ、フレットレスに手を出したのもそういう時期なのかなぁとも思う訳だ。
以前から本格的な基礎練をやってみたいとは思っていた。
だからHIYAMAノートを始めることにした。
HANONやGuy LACOURにも世話になっているし、ベースもこれに加わった感じだな。



2025/10/22

Ibanez SRH500F



以前、エレキベースの教本を探していたら、Rob MacKillop氏の"Classical and Contemporary Studies for Bass Guiter"をネットで見つけた。
Giovanni Bottesiniが作曲したダブルベース用の21曲の練習曲をエレベ用にRob氏が編曲したものらしい。
この楽譜はKindleで入手でき、その模範演奏は下の動画のようにRob氏本人が演奏している。




で、この動画を見るたびにRob氏のベースが気になっていた。
フレットレスなのかぁ、fホールがあるから中空ですかそうですか、こういうのはどこぞの工房というかビルダーの一品もので100万円とかそういうクラスなんだろうなぁ、と。
1年以上そんな風に思っていたのだが、先日のCP88のポイントで何か買おうかなとサウンドハウスをウロウロしていたら、あれっ、これじゃないの! と見つけちまった訳だ。



2025/10/17

Ibanez SRH500F



買っちった。
サウンドハウスで99800円(998ポイント付)。
で、うれしくなって並べてみた。




SRH500Fとアメプロ2とTRBX604、アンペグRB108とフェンダーダウンタウンエクスプレス。
ストラップはフェンダーのスーパーソフト。
SRH500Fのがブラック、アメプロ2がグレーでTRBX604はブルーだ。



2025/10/12

CELESTION TSQ2145



こんな具合にKms(X)やBL(X)のグラフ図を眺めていると、スピーカーユニットの出来不出来がはっきりしてくるから面白い。
ところで、こうしたグラフ図等を用いた分析はスピーカーユニットの小振幅と大振幅時の動的解析を進めるためにKLIPPEL社がおこなっている。
このクリッペル社は、30年以上に渡るヴォルフガング・クリッペル博士による基礎研究の末、同氏によって1997年に設立された。

周知のT/Sパラメータは、スピーカーの低周波特性に関するパラメーターであり、スピーカーユニットやエンクロージャーを設計する際に利用されている。
しかし、このT/Sパラメーターは小信号時におけるスピーカーユニットの諸特性であり、大入力や高温時の解析はできない。
そういう背景でこのKLIPPELの測定システムが開発されたわけである。

ところでT/Sパラメータの歴史を調べてみると、オーストラリアのAlbert Neville Thiele氏が1961年にオーストラリアの出版物に電気フィルター理論に基づくエンクロージャ設計に関する文献を発表、その後、米国のRichard H. Small氏がそのThiele氏の理論を再現、拡張し、それをプログラマブル電卓で計算できるように再構築し1981年に発表した。
だからおよそ半世紀前のお話ということになり、なんというか、ずいぶん時間が経っちまったんだなぁと思う。

下の断面図は我らがJBL Professionalの2216Ndの断面図である。
その下はLansing Heritageで拾った2216NdのKms(X)やBL(X)のグラフ図である。
日付は2011年の8月12日、この見事な特性を獲得するためにこうした磁気回路の構造が開発されたことが良く理解できる。
とくとご鑑賞あれ。








2025/10/08

CELESTION TSQ2145



TSQシリーズの磁気回路の断面説明図である。
ネオジム磁石の上部に配置されているポールピースの断面を見ると、周囲に向かって広がる複雑な形状になっているのが分かる。
これは、磁気ギャップにおける磁界の強さが、コーンの移動方向において対称的に分布させるためである。
コーンが磁気回路の内側方向へ移動する場合と、外側方向へ移動する場合において、磁界の強さが非対称であると、直線性が損なわれる。
なお、ポールピースやトッププレート周囲の2個一対の穴はボイスコイル周囲の温度を下げる
ための冷却孔である。




グラフ図5はTSQ2145のBL(X)であり、磁気回路とコイルによって発生する電磁的な力であるBLとコイルの移動位置(X)の関係を示している。
このグラフ図はたいていの場合、小山のような形状になっており、頂部はできるだけフラット、なだらかな両斜面の中心は(X)の0mm位置、そして斜面は対称的であることが望ましい。

グラフ図6はTSQ2145のBL(X)の対称性の範囲を示しており、赤線がシンメトリカルポイント、すなわち、両斜面の中心を示している。
TSQ2145ではその赤線がほぼ中心に位置していることが分かる。




シンメトリカルポイントがコイルイン側に傾いているのが分かる。
これは、磁界がコイルイン側になだらかに広がってしまっているためである。
TSQ2145の場合は、トッププレートよりもポールピースがより外側にせり出しており、磁界の対称性を確保していることが分かる。





2025/10/02

CELESTION TSQ2145



DIYホーンシステムへ導入した21インチウーファーである。
このTSQシリーズのウーファーは、下の図のようにダブルサスペンションの間にポリシロキサン樹脂が充填されている。
ただし、TSQ2145とTSQ2460はダブルサスペンションではなく、トリプルサスペンションであるため、アッパー、ミドル、ロワーの3枚のサスペンションの間に2層のポリシロキサン樹脂があるのではないかと思う。
なお、サスペンションというのは、昔はダンパーとかスパイダーとか呼ばれていた部材である。



サスペンションは、サラウンド(昔はエッジと呼ばれていた)と共に振動板であるコーンを弾力的に支持している。
この弾力は、コーンが磁気回路の内側方向へ移動する場合と、外側方向へ移動する場合において、対称的であることが望ましい。
要するに、コーンの変位は、中央位置から対称に変位することが望ましく、その際の復元力も対称的にスムーズに増減することが好ましい。
下のグラフ図はTSQ2145のKms(X)であり、対称性と復元力のスムーズな増減に優れていることが理解できる。
このKmsはサスペンションの復元力を示し、(X)はコーンの変位した距離を示している。




比較として、Scan-Speak社のEllipticor 21WE/4542T00 midwooferのKms(X)を掲載しておこう。



2025/09/28

CELESTION TSQ2145



英国セレッションが設立100周年を記念して作り上げたのがTen Squaredシリーズのプロ用ウーファーである。
その中でも最初に発売されたのがTSQ2145とTSQ1845だった。
最近、フラッグシップのTSQ2460も発売された。
このシリーズのスピーカーユニットは10個の技術的特徴を持ち、その中の一つがロボット支援生産ラインを使用した英国での製造である。




こちらはCelestion社の歴史。
スピーカーユニットの組み立ては、こんな具合にずらっと工員さんが並んで組み上げていた。
現在、Celestion社はKEF社と同じ企業グループに所属している。








2025/09/24

YAMAHA CP88



カワイMP9500とヤマハCP4 STAGEを退役させ、ヤマハCP88を購入した。
サウンドハウスで273800円(27380ポイント付)、譜面台YMR-04が8440円(高けえよ)だった。
MP9500は21年使用し各部に不具合があり、また、CP4も10年使用し一部鍵盤から音が出なくなってしまった。
弾き過ぎというのもあるが、CP4はちょっとモロいんじゃないのヤマハさん。




今回は機材の老朽化という消極的な理由で購入しているので、CP88に特に思い入れがあるわけではない。
CP88の評判は良く、鍵盤が軽くて手や肘の負担が小さい、それからヤマハとしては初めてスタインウェイ(Hamburg Piano)のサンプリングを搭載したということである。
弾いてみると鍵盤はもっと軽くてもいいと思った。
スタインウェイの音源はフルコンやスタジオ用など何種類も持っているのでそれ自体は珍しいものではないが、結局、スタインウェイが一番弾きやすく、実際一番よく弾く。
まあ、ヤマハ、ベーゼンドルファー、スタインウェイがメーカーのサンプリングで揃うのだから大したものだ。

操作系は一新されたものの、やっぱりステージピアノは全体のカッコいいイメージが大事。
ただでさえキーボードは地味だからねぇ。
そういう意味では渋いというか、印象が薄く今一つインパクトがないな。
仕上げは良く、金属パネルでCP4よりは断然いいが、MP9500みたいな重厚感はない。
まあ、時代が違うんだからしょうがない。
次回作はもっと気張ってね。



2025/09/21

1975



当時のことを思い出すのは楽しいものだ。
そう言えば、大口径ボイスコイルのスピーカーユニットもあったなぁ。
ローディのHS500のウーファーは20cm口径なのにボイスコイル径は10cmもあった。
単品で販売されていたが、20cmとしてはちと高い、そしてちょっとダサいのでなんとなく敬遠気味だった。
それからテクニクスのSB1000、30cmウーファーでボイスコイル径は10cmだった。
これは大したことないか。
あと、ソニーのSS8150だ。
こいつも30cmウーファーなんだけどボイスコイル径はなんと16㎝もあったのでおじゃる。
まあ、ボイスコイル径がデカいのは男のロマンなんだけど、高域側の特性は当然よろしくなくなる。
HS500はホーンツィーターとの2ウェイ、SB1000とSS8150のミッドはドームの4cmぐらいと、どうなんだろうねぇという感じだ。
ローディは1975年にメタルコーンのHS400で仕切り直し、テクニクスはSB7000、ソニーはSS-G7に変った訳だけど、やっぱりというか何というか。

当時のオーディオを取り巻く状況も書いておこう。
1975年当時は音楽事情も活気があり、オーディオもその波に乗った。
不思議なことに音楽が身近に感じられたというか、変な言い方かもしれないが多くの人が音楽に支えられていたような、そんな感じがしてた。
それから、一億総中流意識というように所得も上昇し、生活に余裕ができて新しいことを始めたいという機運があった。
そしてそこそこの値段で贅沢な感じの物を買ってみたいという要求があって、そこにオーディオはぴったりはまり込んだわけだ。
こういう訳で当時のオーディオは絶好の社会的環境に恵まれ猛烈な勢いを得る。
それはまさに燎原の火のごとくである。
1975年から50年もたった訳だが、製品の記憶はそんなに昔のこととは思えない。
しかし、こうしたオーディオを取巻く状況というのは、ずいぶん変わったな。

ところで、工夫すると音が変わる、これは興味深いことである、というのがオーディオの原点だと思う。
1975年のオーディオは、こういう工夫する心からはだいぶ離れた感じになっていたな。
機材と機材の組み合わせ方、それこそがオーディオって感じになっていった。
そしてグレードアップという雑誌の掛け声の下で着せ替えオーディオが奨励されていたな。
その後遺症はネット時代になっても残っていて毎週のように機材を交換する評論家気取りの変なのがいたが、あれは何だったんだろう。
一方、スピーカーの自作派は、スピーカーユニットという部品の組み合わせから音を作るわけで、昔の秋葉原の薄暗がりの世界を生きているように思う。
だから、着せ替えオーディオ派と自作スピーカー派は、見ているオーディオの景色が違うんじゃないかと、以前から気にはなっていた。
こういうオーディオ世界観の分岐点がはっきりしたのが1975年だったということで、これを今回の結論とさせていただこう。



2025/09/19

1975



それからセパレートアンプも凄かったな。
ヤマハC1なんか、もはや自作アンプではどうしようもない領域に突入していた。
それからラックスM6000、驚愕のデカさで度肝を抜かれたな。

こんなふうに1975年を振り返ってみると結構な機種が揃っていたことが分かる。
技術的には完成の域にあり、性能も十分以上であった。
高度成長期の国内の大手電気メーカーが頑張っていたから品質も確かだ。
製品の背面に貼られたPASSEDのシールがその自信をあらわしていた。

今度は、その後の展開から1975年を考えてみよう。
1975年以降の数年間はその市場規模がどんどん拡大するが、オーディオ製品全体としては特徴的な変化が現れる。
マンネリ化、である。
ごく一部を除き1975年以前の製品の焼き直しとパクリの機種ばかりになってゆくのである。
新たな発想は出尽くしており、価格は上昇すれど中身は変わらず。
それを何とかしようと新機能や新技術が喧伝されていたが、オーディオ的な斬新さを感じさせるものは無かったな。
ちなみにごく一部の例としては1976年にデビューしたマイクロのDDX-1000であり、それ以外はちょっと思いつかない。

1975年がジュラ紀最盛期とするならば、滅びの白亜紀到来はCD出現で始まる。
CD時代に入り影響を受けたのはアンプかな。
トーンコントロールが無いアンプが出現した。
元はと言えばRIAAカーブに準拠していないレコードに対応するために、1kHzを中心にした低音と高音のトーンコントロールがアンプに備わっていた。
CD時代になるとその必要性は失われた。
しかし、本当のところはCDがもたらした劇的な音質の向上が原因じゃないかな。
それから音質の向上はスピーカーの小型化も促した。
反面、オーディオの萌え要素や操作する楽しさはかなり損なわれてしまったとも思う。

でまあ、その後はオーディオ市場は急速に縮小し、数ある趣味の中でも根暗の趣味に分類され、オーディオ製品が売れないどころか国内メーカーがどんどん倒産していった。
売るものが無くなると業界は食っていけないので、アクセサリー、ハイエンド、ビンテージの三大潮流が出現する。
しかしまあ、三大潮流は大袈裟だな、どこか滑稽で色物みたいな雰囲気もあるし。
どうなるのか分からないが、消え去った後にやっぱり小さな沼だったかということにならなければいいが。



2025/09/16

1975



1975年のオーディオ事情を振り返ってみよう。

レコードプレーヤーは、ダイレクトドライブ全盛期だった。
1970年にテクニクスのSP10が発売され、ベルトやアイドラードライブはあっと言う間に駆逐されたな。
オーディオ雑誌の特集でデンオンのDP3000(1972年)のターンテーブルが重いの軽いのと、菅野沖彦と長岡鉄男の両氏が言い争っていたのが印象的で覚えている。
若いというか何というか。
1975年というとソリッド5もこのころだったか。
すでにアンチダイレクトドライブの先兵が出現していたのであった。

アンプはトランジスタになり、新型が出るたびに出力が上昇、大げさ化がどんどん進んだ。
トランジスタやトランスの数が増え、御立派なヒートシンク、ギンギラのフロントパネルと、まあ、今でもそういうセンスのままか。
追いやられた真空管アンプというと完成品なら何故か人気があったSQ38FD、あとはラックスキットとか、出力菅はお好みで選ぶようなパーツセットがあった。
しかし、こうしたキットなどを取扱う店は小さく少なかった。
で、トランジスタアンプは1975年当時すでに完成の域にあり、A級/AB級アンプの元祖ヤマハCA1000、V-FETアンプのソニーTA8650、優美なデザインのラックスL100とバリエーションも豊かだった。
売れていたのはSA8800だったな。
燦然と輝くあのバランスリング、まぶしかったなぁ。

スピーカーは、ダイヤトーンDS301(303)やパイオニアCS3000(A)が絢爛豪華なスピーカーユニットを備えた大型ブックシェルフスタイルを確立し、1974年にヤマハNS1000M、1975年にテクニクス7、翌年にソニーのSS-G7が登場して盛り上がった。
ヒットしていたのはDS28Bだった。
あか抜けした抜群のルックスが受けていた。
結局、このあたりが国産のピークだったな。

日陰者になった海外製のベルトやアイドラードライブは、中古でもガラスケースで大切に展示されていた機種と、段ボール箱に放り込まれていた機種に分かれていて、そういった取扱いの差を見るのも一興であった。
真空管アンプも同じ。
マランツの7や9、あとマッキントッシュ275は、当時でも人気があったが、まあ、その他と言えば捨て値だったな。



2025/09/14

1975



以前書いたように1970年ごろから秋葉原をぶらついており、ごく自然に1971年からオーディオに興味を持ったわけだ。
しかし、オーディオ製品を眺めているだけであって、みょうちくりんな物を作るために財布の中身と相談しながら電気部品をあれこれ購入していたのが実情である。
みょうちくりんな物とは、スイッチを入れると光ったり動いたりといったものなのだが、やたらと複雑でまともに動作せず、あるいは試験してみると崩壊し、ずいぶん熱心に格闘していたな。

当時の秋葉原では家電店がどんどん増え、店の片隅にコンポーネントを置く部品屋も見かけるようになっていた。
始めは何とも思わなかったのだが、1975年ぐらいになるとさすがにこれは増えすぎだろうというか、秋葉原の電気部品屋の街という雰囲気がかなり失われていることに気づいたのである。
オーディオ製品というより電気部品の一種という捉え方をしていたスピーカーユニットの新型が1975年晩秋のオーディオフェアで発表されなかったのは、上記の秋葉原事情とあいまってイラナイ子宣言されちゃったみたい(いや、すでに自作派の時代は過ぎ去りイラナイ子になっていたのだと思う)で、だから、かなり不満だったのだ。
まあ、いつまでも続くというのは贅沢の極みというか、不可能というか、そういうことが飲み込めていなかったのだから仕方がない。

まあ、このころのイヤ~な雰囲気は、菅野沖彦氏のこの文章からも感じ取れる。
菅野氏も面白くないと思っていたにちがいない。
カラーテレビのくだりがおもしろい。

当時のオーディオ評論家は、おそらく全員、貧相な自作アンプと残念なスピーカーユニットの自作スピーカーで一人ひっそりと楽しんだ経験を持っている。
オーディオと呼ばれる以前のその世界は、ラジオとか無線機材から派生したものであって、秋葉原でも当然多数派ではなく、駅前の闇市の名残のような薄暗がりの露店、ラジオ会館の小さな店、そういうところに紛れるように存在していた。
実際、1970年代初頭には、まだそうした雰囲気が残っていたのである。

当時のオーディオ評論家に人気があったのは、そうした暗中模索時代に身につけた経験や工夫、新しいものに取り組む冒険心、それから貧乏ゆえの憧れや散々苦労してやっと入手したときの喜びが彼らの言葉の中に感じられたからなんだろう。
なんでもポチッとすれば手に入る現在では、まるで手が届かない世界である。



2025/09/12

1975



今年、2025年は昭和100年ということだそうだ。
そして、この昭和の戦争の記憶を後世に伝えなければならないとテレビが言っていた。
ま、そうは言っても戦後生まれだから戦争の記憶などあるはずもなく、伝えられそうな記憶としては50年前の記憶になろう。

50年前、そう、1975年は女の子達に妙にモテ始めた年でもありました、うはは。
おっとこれは失礼、オーディオフェアに初めて行ったのが1975年だった。
五反田のTOC東京卸売センター、その1階の広いブースというかフロアでデビューしたてのダイヤトーンのDS38BとDS50Cが景気よく鳴っていた。
外は夕方、寒い雨。

確認のため調べてみるとオーディオフェアではなく"全日本オーディオフェア"が正式名称で、"全日本"がくっついているところが当時の一億総中流意識の一体感のあらわれか。
また、翌1976年からは増えすぎた入場者数に対応するため晴海で開催されるようになったそうである。
そして、寒い雨というのは季節柄というのもあるのだが、気持ちが寒いっていうのもあったな。
これははっきりと覚えている。

なんのことはない、せっかく出向いたのに新型スピーカーユニットの発表が無かったのである。
いや、いくつかはあったのかもしれないが、各メーカーから発表された新型スピーカーシステムの華々しさに比肩するようなものは一切無かった。
そう、スピーカーユニットで商売する時代は過ぎ去っていたのである。
当時はそんなこと分からないから、音は良かったがちょい地味だったDS36BRから一新したDS38BとDS50Cのピカッとしたアルミフレームのスピーカーユニットをなぜ単品で販売してくれないのかと、少し恨めしい気持ちで雨の中をとぼとぼと帰った。



2025/09/08

Nikon D7100



昨夜は皆既月食。
三脚をベランダに持ち出して撮影してみた。
皆既月食の赤は何とも言えない神秘的な美しさがある。




D7100  Sigma 150-600  ISO 1600  1/5sec  f/6.3  500mm  tripod




2025/09/07

Behringer A800



で、夏休み大作戦、結局どうなのよってことだが、いやぁ、やってみるもんだね、これがまた素晴らしい音になった。
A500からA800になって音質が改善されたことは知っていたが、全体の音のクオリティが段違いに向上した。
明らかに見通しが良くなったというか、より鮮明になった。

オートGEQの作業後、低域のレベル調整を聴感でやり直し、PEQを8素子使って全体をちょいちょい補正して整えた。
薄かった低音が息を吹き返し、ビシッとしまっていて、それでいてヘビー級のパンチ力。
音響空間は澄み渡り、そして何より全ての音の実在感が凄い。
こうして微細な音も漏らさず再現し、これぞ7ウェイマルチアンプの本領発揮という感じになった。
オーケストラは時としてこのモニタースピーカーを巨大な野獣に変貌させ、狂喜乱舞である。

A800、なかなかいいアンプかもしれない。
そこそこ発熱するし、音に変なクセがある訳でもなく、アナログアンプと変わらない。
初めてのデジアンなので冷徹な奴かもしんないと少し身構えていたが、これなら仲良くやれそうだ。




このDIYホーンシステムは、黄色いホーンシステムや改造ALTECシステムとは毛色の異なるシステムなんだ。
ホーンは自ら設計し製作しているからね。
コンプレッションドライバー用の定指向性大型ホーンの設計と製作はオーディオ技術において最難関であり、良識あるマニアならパスする案件であろう。

その昔、JBL Professionalのスピーカーユニット群が出現し始めたころ、その中に2397ホーンがあった。
スロートは別売だったので、えっへっへこれなら作れるぜ、って思ったわけだ。
これがホーンの自作を考えた最初だった。
その後、2360Aを入手して定指向性大型ホーンの世界を知り、コイツはとんでもねぇと仰天、それから使いこなしの難しさを通じて奥深さを知り、魅力というか魔力にとりつかれた。
で、それで満足しておればよいものの、ホーンの自作の夢は捨てきれない。
作ること自体はさておき、苦労して作ったとしてもそれでいい音を得られるかどうかはかなり怪しい。
というかほとんど不可能であろうということは重々承知していたのだが、それでも手を出したわけだ。

DIYホーンシステムの2451H用の大型ホーンを製作しそれを最初に聴いた時、おっ、これは失敗ではないかもしれないと思った。
ホーンの周囲をゆっくり移動したり、高さを少しずつずらして聴いたりして音の変化を注意深く観察した。
ダメなホーンは、これをやればすぐ分かる。
この指向性の問題は、位相という時間要素と同じぐらい音を気持ち悪くする要素なんだ。
まあ、プロオーディオの歴史の中でも多くの優秀な技術者が力を注いできた重要な問題の一つだからね。
話を戻すと、そうした恐れていた変な感じはしないので、次いで測定してみると、典型的な定指向性ホーンの周波数特性、それもとても美しいカーブを確認できたので心底驚いた。
これは奇跡だと思った。

"2397ホーン自作のたくらみ"以来の情熱が溜まりにたまって昇華し、あとは知恵と力技で虚仮の一念岩をも通す、そういう長い長い物語が今回の音に結実した訳だ。
ホント、やってみるもんだね。